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等々力で想う学生のブログ(blog)

日々の学び、気づきのストックの場。



自分がより充実した日々を送るためのブログ。

今いいボルテージだ。

アメリカから帰り、すぐ帰省。

札幌のこの落ち着き。自分も周りも。

「なんだ?」

よくわからないが、落ち着きと言う不安に見舞われたりする自分。


ああ。こうやって何も考えずにタイプするのっていいな。


やっぱ色々やりたい。

自分の中でコンセプトは色々有るし、そろを色付きで描く事も出来る。

それにすっごく優秀で刺激をくれる仲間もいる。

ただ決定的に足りないもの。

僕の決断と、僕の求心力。

実力不足と言うか、自分の迷いの現れ。

しょうがないとは言いたくないが、実際は動かせない。

いや動かさない。

コレがベストか、わからないけど。

自分の中では、今は1つの岐路に立っている。

道が何本あるかも分からない。


そんな変数がいくつもあるなか、少しでもその変数を固定させようと思うんだけど、1つ固定するごとに、

「本当にそれでいいのか」

って自問自答。

そりゃすすまないわ。

でも、実はアメリカを縦断する旅の中で、中部の地平線を見ながら1つだけ変数を固定した。

結構全体に対する影響の多い変数を。


これは自分の中ではかたまっているが、まだアウトプットはしないでおこうと思う。


やっぱり行って良かった。

「20歳でアメリカを見たい!」っていう

すごい無論理というか、感覚だけで選んだ。

俺、変化した。


半年前は、春フィジーに一ヶ月後学留学、夏にアメリカ、

って行ってたのに。

これはある種論理的に考えていたもの。

英語が出来ない自分はまずフィジーで勉強。

これで出来る様になろうなんて思ってないが、勉強するきっかけにしようと思っていた。

そしてやはり本番はアメリカ。


でも待てなかった。

20歳の今まさに行きたかった。


何度も重ねて書くが、本当によかった。
「自分はどうありたいか」

この問いを自分にしてみてほしいです。

この問いとは一生つきあって行くでしょう。

この問いには二つの視点が必要であると少なくとも僕は思います。

①論理的な思考プロセスと解
②感情的な   〃

です。

①については、具体的目標か抽象的目的かをまずわけて考える事。そして、その二つが論理的な最適な関係性であるのか。ということを考え、アウトプットする。

②については、①とは全く逆で、何もセグメントなどせずに、感覚で小学生が「将来野球選手になりたい!」と言うレベルの、心からその状態(具体的或いは抽象的事物のこともある)をアウトプットする事になる。

と思います。

個人的には、去年から②がとても大事だなって思っています。

何か人間の為す事って、人間が作り出した論理とか、証明可能性とかって言う範疇から、解き放たれてはじめて、歴史に残る事や、革命的な事が起こるのではないかと考えたりします。

例えば、「外資系証券会社」って聞いて「かっこいい!」って人も「金の亡者」と感じる人、両方いるでしょう。そして、さらに、「自分は成長したい。それなら外資系証券会社だ!」という考えも有れば、「お金の規模感も大事だが、やはり志もあり経営者と近くで働けるベンチャーだ。」と言うともいる。さらには、「大企業で堅実に働いて行く」と言う人も。

みな正解なのだ。その選択や考え方がどうだと言った議論は不毛かつ不要で有る様に思う。ただ選択の段階で正解は無いが、選択した不可逆点から、それが正解とも不正解ともなりうる(もちろん2元論ではない)。

つまり、実は世の中って絶対的なものってほぼない。

自分の中で①と②のプロセスで共有部分に取り組めた時、一番のパフォーマンスを人間は発揮するんじゃないかなって。

先輩のブログに


「感情と理性を調和させる必要がある。」


という言葉が紹介されていましたが、まさにその事だと思います。



とアメリカ出発前に書いたのですが、後悔してなかったんでアップしました!

ああ。やっぱり。とアメリカから帰って再考しています。
アメリカを横断してきました。

様々な気づきがあったし、よく考えさせられた。


UCLAで違和感を持ったこと、それは学食で一人でご飯を食べている学生が多い事。多くはPCや本などに向かって勉強しながら食事をしていた。日本でいない訳ではないけど、うちの大学ではほぼいない。昼は友達と話しながらゆっくりたべ、たべ終わっても当たり障りの無いなんとなしな話をしている。どちらがいいとかいうことを言うつもりは毛頭ない。友人とのコミュニケーションも大事だし、もちろん大学生であるので(人間皆と行っても良いかも)勉強する事は大事だ。

比較すること自体ナンセンスなのかもしれないとも思った。「文化の違い」と一言で片付けるつもりも無い。ただその事実がそこに有る事を知り、その存在を認める。ただそれだけ。そして、その正解が無いもので世の中は構成されているんだなって感じる様にもなった。

そうすると、みなの行動は何をもとに決定しているかというと、往々にしてそれは「周辺環境」と行って良いだろう。

井の中の蛙ではなく、大海を一部でも知った蛙は、その周辺環境に染まる事がある種の普通であるとは感じないのかもしれない。そして、

朱に交われば赤くなると言うが、それはつまり、周辺のいわゆる「普通」になっていくというのだが、この場合普通に染まって行く事を本人は意識する事は無い場合が多いはず。ただ大海のその一部でも知ったものは、自分が赤くなって行くのがくっきり分かるだろう。その大海の青さと自分の色が相対化されて行くからだ。つまりその相対化され、自分を意識するためには、決定要因を、逆説的なものにすることによって大きな変化をもたらすのかもしれないと感じた。

ここでは抽象論に終始してしまったが、自分として具体的な取り組みをして行きたいとも思う。
「流れがあって、それに逆らうのではなくのってそれを変える。」

これが重要なんだな体感した。

つまり環境というのは天変地異があって変わらない限りそうかわらない。まずその中に入って、そこから流れを変えるべきであるのだ。ひとつの定石だと思う。

ちょっと視点は違うが、部下が眠そうにしてるとかモチベートされていない時にもそうだ。

様々な前提は有るものの、コレもそのようであると思う。
あと三日でアメリカ。

なんか一人の時間が欲しいと思いきや、仕事入れたり、友達にメールしたりする自分がいる。

なんか矛盾を感じるな。

これを書き始めた瞬間までは、良い波にのっていた。

でも書き始めたとたんちょっと怖くなった。

という、何かが止まりそうになってる気がした。


だめだ。

止まってられない。

時間は有限だ。

為すべき事は膨大。夢も宇宙とまでは行かないが、かなりのもの。

今の自分がそこの枠に入ったら、中身が無くすかすか。

すぐ落ちちゃう。

だから一歩一歩積み重ね、大きくなる必要が有る。


わかっている。

でもなんだこの感覚は。

うまく言語化できない。


負のバイオリズムに入ったのか。

今はそれを自然に受け入れる事しか自分には出来ない。


別に何が怖いとかあるわけじゃないし、不安が有る訳でもないのに。