こんにちは。
久しぶりの人から連絡がきて
悩んでることがあるっていうので
話を聞いたんだけど
私は「間違ってる」
という言葉に
凄く反応してしまうことに
気づきました。
今朝は、珍しく朝食べたくて豆乳フレンチトースト♪ 左はココアパウダー混ぜた♪うまー♡
間違いたくない
って思うことは
普通のことだと思うけど
間違いって
悪いことなのだろうか?
とも思ったりもして。
誰かにとっては
間違いでも
自分にとっては
間違いではなかったり
誰かにとっては
正解でも
自分にとっては
間違いだったり
なんかそれを
ジャッジするのって
それぞれの
価値観、正義感だよね
って思ったら
苦しくもなったりして。
って、そんな話をその人には
しなかったけど
私の中で引っかかったので
ボンヤリ考えてました。
そしたら
そもそも
「間違い」の「間」って
なんだろう?
って思いだして。
こちらに辿り着いたわけです。
尾原 和啓さん
「間違いは間(ま)が違ってるだけで、違いそのものは楽しいものだ
こちらの記事を読んで
やっぱり誰かや何かが
「悪い」
ってわけじゃなかったんだ!
と安心しました。
ただ違ってるだけ。
ただ合わないだけ。
ずっとかもしれないけど
ずっとじゃないかもしれない。
人も環境も変わっていくものだから
今はそこに「間」があって
違ってるだけ。
間が違っていても
間が合っていれば
違いを楽しめる。
間が違っていて
合ってもいなければ
楽しむことは
ちょっと難しいかもしれない。
間違いが起きやすい間とは
『理解の範囲を超えてしまった間』
とあって更に納得。
だから、理解しようとする姿勢って
大事なんだなぁ。
たとえ、完璧に理解できてなくても
理解しようとしてくれてるかどうかって
なんとなく伝わってくるし
理解しようと思うと
接し方も変わってくると思う。
間違いだと思ったときには、違いの方を修正するよりも、相手と自分の理解の幅を広げるというのをやった方が、”理解の幅が広がる中で "違い" はむしろ価値が上がる”、っていう事なんですね。
理解の幅を広げる
ということをイメージした時に
「悟り」のイメージが浮かんできました。
さとうみつろうさんの
どの動画だったかは
全然覚えてないんだけど←
「悟り」は「差取り」
と解説されてたのが
凄く合点がいったんです。
なのに動画覚えてないけど💦
差があるから気になる。
差がなくなると
何も気にならなくなる。
段差があったり凸凹な地面を
まっさら平らな地面に整える
もしかして
宇宙の法則って
こういうことなのかな。
大体、この方向な気がしてきました。
ってわかった気もするけど
平坦な道だとつまんない!
とか思っちゃって
自分でアップダウンつくって
ゲームしてるんだろうね
ほえ〜。
悟りの境地を目指すことが
楽しいのかもね。
一生悟れません