与那国フィールドノート -300ページ目

アヤミハビル館にベニバト出現

昨夜はかなりの降水があり、水田は一夜のうちに冠水、まさに恵みの雨となりました。

ようやく梅雨入りとなるのでしょうか。

嬉しいことですが、明日は休館日。

火曜日に島に戻ってから、ムヌンがあったり、知人が訪ねてきたり、ハーリーの練習が始まったりと、島を探索する時間がほとんど取れていません。

終日とは言いません。せめて数時間、雨の上がる時間を頂きたい!天の神様!!


さて16日の勤務中のことです。

所用で館外へ出ると芝生にベニバトがいました。

慌ててカメラを取ってきて戻ると、やや離れた場所に移動していました。

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トコトコトコ・・・

こちらを意識しだして、意外に早い足運びで離れていきます。

つい焦ってしまい、こちらが一歩踏みだそうとした瞬間、飛び立ってデイゴの木にとまりました。


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もうちょっといいポジションでとまってくれないかなぁ。

しばらく待っていましたが、結局、首をこちらに回すだけで飛び立ってしまいました。

その後は姿を見せることもありませんでした。




石垣島の旅3

名蔵大橋から初めてアンパルに下りてみました。
名蔵大橋といえば、八重山毎日駅伝のアンカー区間の始まりです。

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現在のコースに変わって間もない頃、一度だけ走ったことがあります。


毎日駅伝といえば、右ひざ裏のピンポン玉です。

今年の大会前から右ひざの裏にパチンコ玉ほどの硬いしこりができ、それが今では、ピンポン玉ほどにまで成長してしまいました。


選手生命の危機すら感じるこの頃。

ピンポン玉の正体を確かめるべく、八重山病院へも行ってきました。

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診断の結果は、ガングリオンというものでした。

注射で中身の黄色いゼリー状のものを吸い取りました。

悪いものではないそうですが、吸い取っても再発することが多く、根本的に治すには手術が必要とのことです。

痛みはなくとも、走るとかなり違和感を感じるようになってきていたので、今後のことは様子を見ながら考えてみようと思います。


さて話はアンパルへ戻ります。
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名蔵アンパルはラムサール条約の登録湿地であり、野鳥の越冬地として名高いところです。


市街地から15分ほどと近いので、9日日中と11日夕方のそれぞれ小一時間ほどの空き時間に探索してみました。


時期的に野鳥の種数も個体数も少なくなりつつあると思いますが、警戒心の非常に希薄なオグロシギが出迎えてくれました。

与那国で初めて見て間もない鳥で、警戒心の強い印象を持っていたので意外です。


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オキナワハクセンシオマネキ


アンパルの名は以前からよく聞いていましたが、干潟やマングローブ林は虫屋の目から見ると少し特殊(マニアック)な環境です。

そのような環境にしか生息しない種もいますが、多種多様な昆虫が生息している場所とは言い難い。


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キアシシギの群れ


だからついつい素通りしていたわけ。

でも興味の対象がが鳥やら植物やらに広がっている現在の僕には、たいへん興味のある場所になっています。

今後も何度か訪れる機会をつくることになるでしょう。

穂物忌祭

昨日、新役員(久部良自治公民館)によって行われる最初の祭事、フームヌン(穂物忌祭)がありました。

稲の穂が出揃う頃、無事に収穫できることを祈願します。


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お供えするウサイ(供物の御馳走)にも種類や並べ方、順番などに色々なルールがあって過去の写真資料をみたり、先輩方に意見を聞いたりと四苦八苦です。


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それでも何とか無事に準備も整い、祈願が始まりました。
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祈願のあと、

若者は早朝に捕ってきた水田の害虫(イナゴやジャンボタニシ!)を積んだ船を海のかなたにあるといわれる大国、アンドゥヌチマへ送り出しに向かいます。
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たいそう立派に作られていますが、このご時世、発砲スチロールで作られた船はいかがなものかとも思います。

かつてはバショウ(バナナ)やビングイ(クワズイモ)で作っていたとも聞きました。


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一帯はクブラフリシと呼ばれ独特の景観が広がっています。
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どうやら崖上の先輩方は、もっと西のほうから流せと言っているようです。
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若者は逆らえません・・・
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再び崖を登って帰る若者三人衆。
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船は順調にアンドゥヌチマに向けて航行中です。
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すべての祈願が終わると、稲作農家、農協関係者、農業委員会関係者、町議、各公民館長、歴代館長らを招いての祝賀会が始まりました。
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稲作農家の長老はとつとつと語ります。

かつてムヌンといえば子供たちの角力、んまはらし(浜競馬)なども行われた一大行事であったこと、稲作農家の減少、高齢化、後継者不足のこと、耕作面積の減少のこと、本土の品種を導入したことで祭事の日取りと稲の成長が合致しなくなっていること・・・

そして何より、今年は深刻な雨不足で、いまだ穂が出そろうには至っていないこと。


ある稲作農家は、3月には水源の湧水が枯れてしまったといいます。

原因は、数年来の台風続きで森林が荒れ、保水力が低下していることにあると考えているそうです。


ああ、ただただ恵みの雨を願うばかり。