とか言ってる間に3月にもなってしまいました。

まあいろいろとあったり、なかったりするわけで、今日も喜んだり悲しんだり、慌てたりするわけですな。

思ったこと。

起きたことの結果は自分で受け止めて人のせいにはしないこと。そのうえでできることをする。

人の顔はまっすぐ見るようにしよう。できる限り。

喜んだり悲しんだりできるうちはまだ人として大丈夫なんだと思う。
JRの山手線のテレビでは最近しょっちゅうクイズを出題してるので、つい真剣に解いてしまいますな。

「祭日稼働」(さいじつかどう)

を並べ直して別なコトバを作りなさい、という問題だったので、ちょっと考えた結果、

「自動改札」(じどうかいさつ)

かな、と思ったら図星。でもそれじゃ面白くないので何か他にないかなぁと思ったら、いいのを思いつきました。

そこで問題。もうひとつの答えはなんでしょうか?
まったく脈絡なしですが、ライオンにまつわる子供時代のお話を二つ。とにかくうろ覚えなので、違っていても責任はとりません。

一つ目は「ライオンのめがね」。
もはやうろ覚えなのですが、絵本か何かが原作で、たぶんミュージカルにもなっていたと思います。

で、これは王様のライオンが、老眼になって新聞も読めなくなって、国民の小動物が眼鏡を作ってあげるために旅に出る話だったような。

最後には、このライオンの王様死んじゃうはずですが、何が印象的だったかというと、どんなにえらい王様という立場でも、人並みの苦労や痛みはあって、その痛みを分かってあげられる人に対しては、やはり人並みに感謝するものなのだ、ということが何となく実感できたはなしだったなぁ、と。

もう一つは「やさしいライオン」。
いまや「アンパンマン」なしには語れないやなせたかしさん原作の絵本でしたが、こっちのほうが名作ではないかと。
みなしごのライオンが、子どもを亡くしたばかりの犬の母親にそだてられて、やっぱりかなしい最後を迎えるお話でした。

どちらも、ライオンという本来つよいもののはずの動物に弱点を負わせているところが、作劇としてうまいなぁ、といま振り返ってみて感心します。
定期がよりによって切れていたので更新に6万円もかかってしまいました。へむむ。都営線ももはや「パスモ」とやらの運用が開始しているというウワサも聞いたのですが、手持ちのSuicaとうまいこと交換できるのか分からず、結局時間もないので面倒くさくて、従来通り、定期券は定期券で持ちつつ、必要に応じてSuicaも使うことに。

会社で仕事をしていると、なにやら訪問者があるとか。誰かと思ったら、なんと、3年ほど前に仕事で付き合いのあった子役の男の子でした。主に音楽コーナーをやっていたので、かなりディープにつきあってたかなと思います。いまはもう結構大きくなって、大学生かと思ったら、まだ高校1年生。

ハーフの子なので、今は何をしてるのかと思えば、「今は本格的に音楽をやってます」とのこと。よくあるロックバンドかなと思ったらなんと、ミュージカルをやってるんだそうです。

ふと4年近く前の夏のことを思い出しました。当時彼は声変り直前で、ぼくが独断で選んだ、高野寛の「虹の都へ」のハイトーンに苦しんでいたっけ。しかも舞台の上でナマで歌うという、ミュージカルもどきの主役で、テレが抜け切れずに苦労していたっけ。

まだ幼さを残していた彼は、その素材のよさは随所に感じさせてくれたものの、練習中にもちょっと調子が悪いとふてくされた様子を見せたり、言い訳が多かったりして、そのことも含めて練習中には結構厳しいことを言ったような覚えもあります。

よかれと思って言うことも、その時の本人の受け取り方次第ではどういう結果になるか分からないことも多々あるのですが、今日会った彼が当時を振り返って言うことを聞いてちょっとびっくり。

「あの頃はわがままばっかり言ってすいませんでした」

だって。

自分が高校1年生だったころに、誰か年上の人に対して、そんな謙虚なこと言えただろうか。たぶん百歩譲ってそんなことを思ったとしてもコトバには出せなかったろうな。

素直にまっすぐ、生きてるんだな、若者。

正直、ちょっと感動したんですよ。本人に向かって言えたのは、
「君がいまそうやって音楽を続けていることがうれしい」
ぐらいのべたなセリフにすぎないんですが。

自分の人生のある時期の仕事に注いだ情熱の一部分がなかったら、この青年の現在はなかったかも知れない、そんなことも思われて、そらおそろしくもあり、なんていうこともあるのですが。

別に彼がもしも音楽で成功したらうれしい、とか誇らしい、とかそういう部分とは全く違っていて、「ああ、こうして何かを渡して、受け継がれていくモノがあるから人生には意味があるんだ」という、コトバにしてしまえば当たり前のことを直接体験したことに感動したんですよ。

まあ常日ごろから「紅白出場歌手を2.5名育てた」とかふざけて言ってるわけですが、なんか、じわじわきました。

なんて言っていい気になった帰り道に、ケータイのバッテリーパックを何かに引っかけたついでにぶん投げてしまったらしく、もちろん通話不能、メールもできません。
前日からつながりで早朝からの仕事があり、それが終わったのが午後7時、珍しくたくさんのスタッフでそのまま打ち上げの流れに。

居酒屋で、悲劇は起きた。

途中で仕事があるので中座しようと思って店先に出ると、確かにそこに脱いだはずの履物がない。

店員さんに聞いてみるけど、「これですか?」と持ってくるのは全く見覚えのない履物。まさか自分ここまではだしで来たのを忘れてたのか?と思うと…。

「他のお客様が履いておられました…」と店員さんの答え。

人のもの履いてトイレに行くなよ…。

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ものすごい久しぶりにカゼをひいてしまいました。セキもくしゃみも出ないのに、熱で頭と腰が痛い。木曜日はほとんど仕事にならず、早めに帰って寝てたのです。これを「鬼の霍乱」っていうんだそうで。

そしたらですね。

今日になっていきなり絶好調。ほぼ完全に復調してしまっていたのです。インフルエンザならさすがにこんなに早く直るはずはないと思うのですが…。

なんていいながら、切れかけてた自宅の蛍光灯を取り換えようとしていた矢先のこと。指先に「パリッ」といやな感触がします。

瞬時に気づきましたね。

「をを、おれは寝てる間に改造されて人の100倍も握力を持つ超人になってしまったのだっ ガラスの電球を割ることなんぞ朝飯前なのだっ まさに鬼っ」

交換が終わって明かりをつけてみると、割れていたのは接続部分のプラスチックだけでした。経年変化ですかね…。
引っ込みがつかなくなったのでそのオチを。

フランスの社交界やら、文学界やらのあちこちに、「サンジェルマン伯爵」の記述は出てくるそうです。曰く本人が「ものすごく長いこと生きてきました」と語ったとか、従者が「何百年も仕えています」と言ったとか、数十年も前に会ったときよりも若々しく見えた、とか。一度死んで埋葬された、とかいうウワサさえあったりします。

これらの情報を総合して、全部信じるとすると、どこかでタイムトラベルをしている、と考えるのが一番つじつまが合うのだ、というのがタイムトラベラー説の根拠になっています。

これが本当でないとしたら誰かが嘘をついてるとしか考えられない。これが一番不思議な点です。各界の名士や貴族たちなど、ちゃんとした文章も書け、教養もあるような人たちが書き残したものなのに…。

じつはここに一番の盲点があるのです。


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嘘をついていたのはなにを隠そう、全員だったのです。


嘘、と言ってはちょっと言いすぎなんでしょうね。

多分、こういうことなんだと思います。アメリカの映画界には、監督が制作会社やプロデューサーともめて途中降板してしまってクレジットに入れられることを拒否したとき、「アラン・スミジー」という名義で公開する習慣があります。そんな事情を知らない後世の人が、世界の映画史を作ろう、と思い立ったときに調べてみたら、非常に長い期間にわたって、あらゆるジャンルの映画を撮っている、作風も非常にバラエティーに富んだ「アラン・スミジー」という謎の映画監督がいるぞ、と。

それと全く同じではないのですが、多分当時のフランスの社交界には、いまよりもちょっとだけ、しゃれっ気があって、ちょっと人との話のタネに、手紙に「サンジェルマンっていう人に会ってねぇ」なんて冗談で話をした人がいたに違いないのです。その手紙をもらった人も「ほう、そういうネタがあったか」と受けて立ち「君も会ったのぉ?僕もー」なんて返事を書く。

「あの人がそういうエピソードを書いたんなら、オレはこんなことを書いてやれ!」

そのうち、社会全体が参加したオリジナルキャラを使ったリレー小説のようなものが、この共同体の中で成立したというのが、サンジェルマン伯爵の真相なのです。

こういうことを話題にする、というしゃれっ気が、社交界の中でのセンスのよさを判別するひとつのステータスでもあったのではないでしょうか。

ではサンジェルマン伯爵の正体がいつわからなくなったのか?というと、あてずっぽうですが、フランス革命のせいなのではないかと。つまり、社交界という一つの狭い共同体の決まりごとを理解しない外部の力があらゆる仕組みを壊して社会を組み直したわけで、人が文章化しないような約束事はそういう時点で失われてしまうのです。

楽器の演奏法があまり文章化されないために、楽譜が残っていてもどういうふうに演奏するのかよく分からないクラシックの曲もあるそうです。一番の常識は文章化はされないのはどこでも一緒なんでしょう。

ということで、みなさんの夢を壊してしまったとしたら申し訳ない気持ちで一杯ですが、真相はおそらくこういうことでしょう。

だとすると、後の世で「アラン・スミジー」という映画監督もタイムトラベラーだった、という仮説が立つ可能性も十分ありますな。
石ノ森章太郎の「サイボーグ009」の文庫版のおまけみたいな付録に、作者のところを訪ねる謎の人物がいて、それが最後に「サンジェルマン伯爵」と名乗って立ち去ったのです。

あとでそれが歴史上有名なタイムトラベラーだ、と知りました。

ノストラダムスの予言同様、ヨーロッパの解けない謎の一つだ、とずっと思ってきました。

ところが、先日、職場のある青年とメシを食いながら雑談していたときに、ふとその秘密を知ってしまったのです。彼の大学での専門は「フランス幻想文学」だった、というのがそのヒントです。


ここでうかつにその秘密を書いてしまうと僕は消されてしまうかも知れないのです。

なのでこの続きはまた次回。
調子が悪かったはずのDVDレコーダー、もうオシャカかなと思って買い替える覚悟をしていたのですが、なんかその後ちょっと復調しました。前のモノを慌ててDVDに焼いて、順次消去していったのがいいんでしょうか。いまはサクサク動いてます。

どうやらハードディスクの全般的不調、というよりは断片化により重くなってただけ、説が有力ですが。

ちょっと油断してるとまた一杯一杯まで埋まってしまいました。この悪循環から逃れる方法はないんだろうか。

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すいませんね。最近ネット武将じゃなくてネット無精になってまして。

そんなこんなで2週連続で結婚式です。合唱団の先生の息子さんで、今回は上智大学の中にある聖堂を使ってのキリスト教式です。

式に出席するのが目的ではなく…というのは主役に失礼ですが(笑)、今回は聖歌隊です。なんかドリフみたいですな。

賛美歌やら、ワーグナーの結婚行進曲やら、Amazing Graceやらを歌いました。今までなんでいろんな人がいろんな所でAmazing Graceを歌うのか、よく分からなかったんですが、自分で歌ってみて、あ、これは歌い手が気持ちいい歌なんだ、というのがよく分かりました。

それはともかく、一番びびったのは最後の曲、ハレルヤコーラス。本番まで全体の進行のことはよく把握せずに練習してたんですが、新郎新婦が退場するときの曲だったんですな。

それで、曲は4~5分かかるので、最初の2分で新郎新婦は退場してしまい、あとにはお客と聖歌隊のみが残るというわけで。お客さんも他に注目する対象がないので必然的に聖歌隊をじっくり聞くという姿勢になります。

別にいい加減に歌ってるつもりではなくても、そういう注目のされ方をすると、ちょっと動揺してしまうもんですな…。