引っ込みがつかなくなったのでそのオチを。
フランスの社交界やら、文学界やらのあちこちに、「サンジェルマン伯爵」の記述は出てくるそうです。曰く本人が「ものすごく長いこと生きてきました」と語ったとか、従者が「何百年も仕えています」と言ったとか、数十年も前に会ったときよりも若々しく見えた、とか。一度死んで埋葬された、とかいうウワサさえあったりします。
これらの情報を総合して、全部信じるとすると、どこかでタイムトラベルをしている、と考えるのが一番つじつまが合うのだ、というのがタイムトラベラー説の根拠になっています。
これが本当でないとしたら誰かが嘘をついてるとしか考えられない。これが一番不思議な点です。各界の名士や貴族たちなど、ちゃんとした文章も書け、教養もあるような人たちが書き残したものなのに…。
じつはここに一番の盲点があるのです。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
嘘をついていたのはなにを隠そう、全員だったのです。
嘘、と言ってはちょっと言いすぎなんでしょうね。
多分、こういうことなんだと思います。アメリカの映画界には、監督が制作会社やプロデューサーともめて途中降板してしまってクレジットに入れられることを拒否したとき、「アラン・スミジー」という名義で公開する習慣があります。そんな事情を知らない後世の人が、世界の映画史を作ろう、と思い立ったときに調べてみたら、非常に長い期間にわたって、あらゆるジャンルの映画を撮っている、作風も非常にバラエティーに富んだ「アラン・スミジー」という謎の映画監督がいるぞ、と。
それと全く同じではないのですが、多分当時のフランスの社交界には、いまよりもちょっとだけ、しゃれっ気があって、ちょっと人との話のタネに、手紙に「サンジェルマンっていう人に会ってねぇ」なんて冗談で話をした人がいたに違いないのです。その手紙をもらった人も「ほう、そういうネタがあったか」と受けて立ち「君も会ったのぉ?僕もー」なんて返事を書く。
「あの人がそういうエピソードを書いたんなら、オレはこんなことを書いてやれ!」
そのうち、社会全体が参加したオリジナルキャラを使ったリレー小説のようなものが、この共同体の中で成立したというのが、サンジェルマン伯爵の真相なのです。
こういうことを話題にする、というしゃれっ気が、社交界の中でのセンスのよさを判別するひとつのステータスでもあったのではないでしょうか。
ではサンジェルマン伯爵の正体がいつわからなくなったのか?というと、あてずっぽうですが、フランス革命のせいなのではないかと。つまり、社交界という一つの狭い共同体の決まりごとを理解しない外部の力があらゆる仕組みを壊して社会を組み直したわけで、人が文章化しないような約束事はそういう時点で失われてしまうのです。
楽器の演奏法があまり文章化されないために、楽譜が残っていてもどういうふうに演奏するのかよく分からないクラシックの曲もあるそうです。一番の常識は文章化はされないのはどこでも一緒なんでしょう。
ということで、みなさんの夢を壊してしまったとしたら申し訳ない気持ちで一杯ですが、真相はおそらくこういうことでしょう。
だとすると、後の世で「アラン・スミジー」という映画監督もタイムトラベラーだった、という仮説が立つ可能性も十分ありますな。
フランスの社交界やら、文学界やらのあちこちに、「サンジェルマン伯爵」の記述は出てくるそうです。曰く本人が「ものすごく長いこと生きてきました」と語ったとか、従者が「何百年も仕えています」と言ったとか、数十年も前に会ったときよりも若々しく見えた、とか。一度死んで埋葬された、とかいうウワサさえあったりします。
これらの情報を総合して、全部信じるとすると、どこかでタイムトラベルをしている、と考えるのが一番つじつまが合うのだ、というのがタイムトラベラー説の根拠になっています。
これが本当でないとしたら誰かが嘘をついてるとしか考えられない。これが一番不思議な点です。各界の名士や貴族たちなど、ちゃんとした文章も書け、教養もあるような人たちが書き残したものなのに…。
じつはここに一番の盲点があるのです。
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嘘をついていたのはなにを隠そう、全員だったのです。
嘘、と言ってはちょっと言いすぎなんでしょうね。
多分、こういうことなんだと思います。アメリカの映画界には、監督が制作会社やプロデューサーともめて途中降板してしまってクレジットに入れられることを拒否したとき、「アラン・スミジー」という名義で公開する習慣があります。そんな事情を知らない後世の人が、世界の映画史を作ろう、と思い立ったときに調べてみたら、非常に長い期間にわたって、あらゆるジャンルの映画を撮っている、作風も非常にバラエティーに富んだ「アラン・スミジー」という謎の映画監督がいるぞ、と。
それと全く同じではないのですが、多分当時のフランスの社交界には、いまよりもちょっとだけ、しゃれっ気があって、ちょっと人との話のタネに、手紙に「サンジェルマンっていう人に会ってねぇ」なんて冗談で話をした人がいたに違いないのです。その手紙をもらった人も「ほう、そういうネタがあったか」と受けて立ち「君も会ったのぉ?僕もー」なんて返事を書く。
「あの人がそういうエピソードを書いたんなら、オレはこんなことを書いてやれ!」
そのうち、社会全体が参加したオリジナルキャラを使ったリレー小説のようなものが、この共同体の中で成立したというのが、サンジェルマン伯爵の真相なのです。
こういうことを話題にする、というしゃれっ気が、社交界の中でのセンスのよさを判別するひとつのステータスでもあったのではないでしょうか。
ではサンジェルマン伯爵の正体がいつわからなくなったのか?というと、あてずっぽうですが、フランス革命のせいなのではないかと。つまり、社交界という一つの狭い共同体の決まりごとを理解しない外部の力があらゆる仕組みを壊して社会を組み直したわけで、人が文章化しないような約束事はそういう時点で失われてしまうのです。
楽器の演奏法があまり文章化されないために、楽譜が残っていてもどういうふうに演奏するのかよく分からないクラシックの曲もあるそうです。一番の常識は文章化はされないのはどこでも一緒なんでしょう。
ということで、みなさんの夢を壊してしまったとしたら申し訳ない気持ちで一杯ですが、真相はおそらくこういうことでしょう。
だとすると、後の世で「アラン・スミジー」という映画監督もタイムトラベラーだった、という仮説が立つ可能性も十分ありますな。