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2023年11月28日~29日 塔ノ岳  その1

11月28日から29日で丹沢の塔ノ岳に登ってきました。

約1年ぶりです。

28日はかなり気温が高く、本当に11月の末なのという気分で登りました。

写真はSONYのα7Ⅱというミラーレス機にタムロンの28~200㎜のレンズで撮影。

身づくろいをして、9時半ごろ大倉バス停を出発。

途中の畑の淵にはホトケノザが。

エンゼルトランペットもまだ元気。

 

登山道入り口のそばの民家の紅葉。まだ青いのが多いかな。

 

こちらは晩秋のもの。家の近くでは見かけなくなりました。

 

 

 

 

懸垂降下中の虫さん。

 

 

見晴小屋から堀山の家の間の紅葉がきれいでした。

 

ちょっと歩いては写真を撮るということで小休止。

なかなか進みません。

 

 

 

 

 

 

 

一本松のあたりから風が強く、ちょっと肌寒さを感じるときも。

 

 

 

 

駒止茶屋

堀山の家の下の平らなところからみた富士山。

 

 

同じような枝ぶりのマムシグサ。ストックでも刺さってるのかと思いました。

 

 

堀山の家の下にある紫式部。

堀山の家のところで、小休止ならぬ中休止。ここでフリースを羽織りました。

 

かつての拉致現場。

しもやけの竜胆。

ひーひー言いながら花立の階段を登り、花立山荘のところに着いたのがだいたい12時すぎ。

 

ここでデジカメのバッテリーが切れました。

α7Ⅱはバッテリーが弱いのが難点の一つ。

個人的には使ってるミラーレス機の中ではパナソニックのものが一番バッテリーは

強い気がします。SONYのはこのα7Ⅱの後の機種のものも

バッテリーは改善はされてますがまだ弱いですね。

 

塔ノ岳の山頂の下でチャンプさんに追い越されました。

13時半ごろに塔ノ岳の山頂の尊仏山荘に到着。

チャンプさんはコーヒーを飲みながら、定番のノートの記録を記入されてました。

 

私は遅い昼食です。

 

昼食後、水場へ水をくみに。

富士山に雲がかかってます。

水場へ下る道は、昨年は工事中でしたが、すっかりきれいになっていました。

階段の段差も小さく、疲れた足で歩くのには優しいものになってました。

水場のところの不動様。

水はちょろちょろ垂れ流し。

 

 

いばらの実。

 

山頂に戻り、小屋の中でまったり。

 

江の島。

蛭が岳。

日没は4時半ごろ。

残念ながら富士山の頭は隠れてました。

 

 

 

 

夕陽に照らされた東の空の雲が赤くなってました。

東京方向を見ると、いつも思うのですが、空のところに境がくっきりとあり

下はどんよりと黒ずんだ空気に。

 

下界の町の明かりがつき始めてます。

ミラーレス機の中でも今回のα7Ⅱは暗いところのオートフォーカスも苦手なのかも。

ピントが合わないのでマニュアルに設定して撮影。

 

 

 

月が昇ってきたので町あかりとのコラボを。

 

レンズのハレーションが。

夕食は5時半ごろ?寒い外からカメラを持ってきたので曇ってます。

この日は、泊り客が夫婦が2組と、ソロの客が私をいれて3人。

小屋番さんとは8年ぶりの再会。前回お会いしたのは燕岳でした。

お星さまの撮影をしようと思ったのですが、このカメラはバッテリーが持たないので

早々に断念。

UFOじゃないと思います。

 

 

6時過ぎには撤収し、7時には寝床に。

健康的な生活だ・・・・・・・。

 

つづく。

 

 

 

 

 

フィニッシュ




いつものパターン。

朝だ




朝だ!

サブイ



暇ダ~





まったり、日没待ち。

2023年11月22日 夕方の平林寺

今日は、午前中は家のことをバタバタと片付け、午後から新座の平林寺へ。

ちょっと家を出るのが遅かったので、平林寺に着いたときは午後3時過ぎ。

午後4時には閉門するので3時50分までには入口に戻るように言われてサッと

中を回ってきました。

 

今回はSONYのα7Ⅱという2世代ぐらい前のフルサイズのミラーレス機に

京セラコンタックスのレンズを付けて撮影。

 

 

 

このあたりまではプラナー50㎜f1.4というレンズ。上の花壇の写真は開放絞りで撮っているので

ピントの合ってる場所とそうでない場所の差がはっきり。上二枚は今一つピントが合ってなような。

 

この下からはマクロプラナー100㎜f2.8というレンズ。

 

この辺りに来るといつも撮りたくなる標識。

いつもだと、野火止用水沿いに寺の周りを歩いてから入るのですが、ちょっと時間が遅かったので入口に直行。

 

さすがに夕方3時過ぎると、この時期でも客はまばら。

 

さすがにこの時間になると、日が差す位置が今ひとつ。紅葉の状態はピークを過ぎた感じですかね。

 

 

 

 

 

 

マクロプラナー100㎜は名前の通りマクロレンズとして使える100㎜なので、鏡胴の繰り出し量が多く、ちょっと重いです。

軽いミラーレス機につけて使う場合に機種によっては持ちにくいかも。

 

α7Ⅱはレンズをマニュアルで使う場合にピントの合っている場所をファインダー上で示すピーキングという機能が一応は

あるのですが、その色が白か赤か黄色なので、こういう写真の場合には今一つ分かりづらいのが難点です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

寺の中を流れる野火止用水。

 

 

 

 

 

 

 

 

結局、家に戻っても6時過ぎぐらいのちょっとした散歩でした。

だいたい1万5千歩ほど。

 

おしまい

一年ぶりの奥日光

奥日光を一年ぶりに歩いてきました。

地元の駅を6時2分の列車で大宮に出て宇都宮線に乗り換えて宇都宮まで行き、

そこから日光線で日光駅まで。だいたい8時少し過ぎぐらいに到着。

そこからバスで菖蒲ガ浜というところまで行き、そこから歩きます。

今回はいつになく外国人観光客がおおかった気します。

とくに、日光線とバスはかなりの比率で海外からの観光客でした。

JR日光駅前からの男体山。山頂付近がうっすらと雪をかぶっているような。

JR日光駅の駅舎。

 

竜頭の滝。もう紅葉する木々の葉はすっかり落ちてしまっています。

 

滝の上の橋から。

散策路を歩いていくと、足元には

今シーズン初めてお目にかかる霜柱。

木々の葉が落ちて、林の中は明るいです。

雪をかぶった日光白根の頭が見えてます。

 

シャクナゲ橋の分岐から小田代の方へ。

シャクナゲ橋の上から見た湯川。

葉っぱのない枝

 

途中の戦場ヶ原の展望台からの風景。

わたしが初めて戦場ヶ原に来たのは小学校の修学旅行なので、

もう40年以上前ですが、そのころと比べてもだいぶ湿地が減ってしまったみたいです。

戦場ヶ原の中に木々も増えてますね。

 

小田代。

 

 

 

小田代の展望台のところでお湯を沸かしてカップラーメンの昼食。

昨日はなんとも寒く、風はあまり吹いてなかったけども気温は低かったので、

カップラーメンもお湯を入れて3分待っている間にけっこうぬるくなっていました。

 

貴婦人と呼ばれるダケカンバ。

周りの木々がけっこう大きくなってきていて、手前の木々も育っているから、

そのうち貴婦人が見えなくなるのかも。

 

 

 

小田代から湯滝方向へ向かいます。

 

 

 

 

おもしろいコブ

 

戦場ヶ原からの道と合流して少し進むと以前は湯川沿いに滝の方へ向かう道でしたが、

数年前の大雨でそちらの道は通れなくなり、今は少し高くなった林の中のう回路に。

乾いた道もありますが、

けっこう霜でぬかっているところも。

 

 

 

 

 

かなりのぐちゃぐちゃ状態。かつての丹沢の大倉尾根名物。

湯滝のそばに来ると、また川沿いの場所も。ここでリスをみかけましたが、

残念ながら写真にはおさめられませんでした。

 

 

湯滝の下の部分。

 

 

ここで、時間をみたら、近くのバス停からのバスでちょうどいい時間のものがあったので、

バスに乗って日光駅へ帰ることに。なんとも寒かったです。

バスが東照宮のそばに来て、渋滞で動かなくなってきたので、

駅まで歩くことに。

大谷川と金谷ホテル

神橋。

 

 

 

駅まですたすた歩いて、3時台の日光線に乗りました。

この列車がほとんど外国人客ばかりで、私が乗った時にはガラガラでしたが

その後にどんどんと乗ってきて、座席に荷物を置いて、ホームに飲み物を買いに行って

いたら、荷物がどかされて席がなくなってました。

 

 

上田城へ

昨日の続きです。

小諸駅12時すぎのしなの鉄道の列車で上田へ。

 

こちらは小海線のもの。

小海線はだいぶさびれた感じでした。

 

こちらがしなの鉄道。

昔の信越線の一部の区間がしなの鉄道になっているのですね。

 

途中、田中という駅。日本でただ一つの田中駅なのだとか。田中さん大歓迎という看板が。

上田まで小諸からだいたい40分ほど。

上田の駅前にいたおじさん。

上田城まで駅からだいたい900メートルほどだとか。

 

上田の市役所の近くにあった教会。ケルト十字が上に乗っているのでちょっと気になった。

 

上田城。城の建物は昔のままでは残っていないようですが、城自体はけっこう大きいんですね。

長野方面に行く新幹線の車窓から見上げてはいたけど、実際に来たのは初めて。

 

 

 

 

石垣と楼門。

 

昨日はいい天気だったこともあり、結構な人出が。近隣の仕事場の人たちも、城の中のベンチでランチ休憩をとっているような。

住民の憩いの場にもなっているようす。銀杏のギンナンが何とも言えないにおいを発していましたが。

 

 

堀。

 

 

 

 

 

 

 

 

本丸の外側を回っていきましょうか。

 

左手側は戦争で亡くなった方をまつった神社のようす。

 

 

上田の駅にもどって帰りましょうか。

 

駅に着いたらちょうどいい新幹線があったので、慌てて切符を買って乗りました。

 

家に着いたのがだいたい16時過ぎ。

 

ちょっとした休日の胃袋を満たすのと気分転換になるお散歩でした。だいたい2万歩ほど歩いたみたいです。

 

おしまい。

 

 

 

ちょっとうまい蕎麦を食べに長野まで 小諸編

無性に、うまい蕎麦を食べたくなり、思い付きで長野まで。

大宮から佐久平まで出て、そこから小海線で小諸へ。

小諸に着いたのが9時頃だったので、まずは懐古園を散策し、

それから蕎麦屋へ行くことに。

長野方面には年に数回は足を延ばしていますが、小諸は久しぶり。

最後に訪れたのは10年以上前だと思います。

私が初めてここに来たのは小学生の時。まだ信越線の在来線の特急が走っていた時代。

その後、何度か訪れて、信越線の特急が廃止になる直前にも来ました。

横川駅で列車の機関車をつなげる作業があって、その間に釜めしを調達するというのが

当時のならわし?でした。

 

懐古園は、ちょうど紅葉のピークの頃なのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

初めて来た頃は、この石垣が結構高いと思ったのですが、実際には高くないですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

千曲川

千曲川の方へ降りていく道を少し散策。

 

 

 

 

狂い咲きのつつじも。

今回の写真はソニーのα7cというカメラにタムロンのズームレンズと

昔の京セラのCONTAXの50㎜と35㎜のプラナーというマニュアルレンズで撮ってます。

この辺りからプラナーで撮ったもの。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

11時頃には、結構観光客がいっぱいに。

 

 

 

 

 

 

 

懐古園から小諸の町の中に。

 

以前よりは道や街並みがだいぶ整備された気が。

 

 

丁子庵で辛味大根の蕎麦をいただきました。

 

 

小諸の駅前にクマがいました。

まだこの段階で12時前だったので、ちょっと上田まで足を延ばすことに。

 

つづく。

2023年11月2日 岩殿山から稚児落としへ

三十数年ぶりに、大月駅の北にある岩殿山へ行ってきました。

以前、登ったのは大学時代で、2回ほど行った記憶が。

最初はソロで、2回目はゼミの友人たちと。

2回とも下の丸山公園というところから登っていきましたが、

このコースはかなりお手頃のもので、気軽に登れた記憶が。

 

今は、この丸山公園からのコースは閉鎖されていて、ぐるっと岩殿山の裏に回って

登る道と、あとは稚児落としというところの方から登るコースが一般的な様子。

 

今回はこの裏から回って、稚児落としというところを抜けて大月駅まで戻るルートで

歩いてきました。


地元の駅から大宮に出て、埼京線で武蔵浦和に、そこから武蔵野線で西国分寺に、

中央線で高尾に、そこから中央本線で大月に。乗り継ぎがうまくいって、

8時半ごろには駅を出ました。

レトロな看板。

あの岸壁の上を歩くことに。。。

岸壁の直下に丸山公園というのがあって、以前はそこから登っていくルートが

あったのですが、崩落がひどいということで通行止めに。

丸山公園の入り口から車道沿いにぐるっと回って、山の裏側に。

こちらから登ります。

 

なんかアナログなカウンター。

 

ちょっと登るとこんな分岐に。

 

鬼の岩屋。昔の、僧の修行場所だとか。

 

 

なんかのどかな里山の道のような。。。

でも結構な急こう配が何か所も。

岩殿山の山頂に。

 

今日は気温が高かったから、富士山がなんかぼんやりと。

ちなみに岩殿山はスカイツリーと同じ高さ。

 

岩殿山は富士山がきれいに見える場所として山梨県の中でも有名な場所として

秀麗富嶽12景の一つのようですが、もっと寒い時期じゃないとダメですね。

富士山を北側から見るのは不利な条件ですが。

 

 

山頂から下って、岩殿城の跡を見ていきます。山頂は本丸。武田勝頼がいた城で、

最後に追い詰められて逃げる際に、稚児落としという岸壁のところで、敵に子供の

声が聞こえて見つかるのを避けるために岸壁の上から子供を落としたのだとか。

武田勝頼はその後、

1582年に織田、徳川の連合軍に天目山の戦いで敗れて武田氏は滅亡します。

その後、同じ年に本能寺で織田信長も倒されることに。

 

 

 

結構高い場所ですが、ここまで馬を入れていたんですね。

 

この看板は昔見た記憶が。

 

 

乃木希典の詩碑だとか

 

少し露出を調整して、なんとかみられるように。

 

 

 

 

 

 

 

 

ここから稚児落としの方へ。

なんかありますが。

この稚児落としのコースは、結構アップダウンがあり、しかも崩落していて通れない

ところの巻き道がとんでもない道になっていたりと、なかなかなコースでした。

 

 

 

 

ここは鎖を使わないでも登れるところでした。

こちらは右のはしご?はいささか心もとないので、チムニーの中を上っていきますが、

最後が結構狭くて難儀しました。

 

 

もっと狭いところもあったけど、上はこんな感じのところが多いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

四百数十年前の幼児虐待現場。

 

稚児落としを過ぎて、一気に下りますが、このくだりがハードでした。

浅利という集落に出て、そこから車道を歩いて駅に戻ります。

 

干し柿を干してます。

 

大月駅横の歩道橋の上から今日歩いてきたところを振り返って。

今日は予想以上に気温が高く、結構後半はへばって、ひーこらひーこら言いながら

歩いてました。

 

大月駅に着いたら、上りの列車が来るところだったので、慌てて改札を通って、乗車。

その後も乗り継ぎがうまくいき、夕方4時過ぎには家に着きました。

 

ちょっと体力が落ちてるので、なんとか二週に一回はどこかへ行きたいと思っております。

 

おしまい。

 

来たぞ~



いい天気です。




いい天気。