我が家へうしちゃんが来たときの話 | My favorite pictures

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大好きな写真と共に

生徒らが、うしのトイレがなくなったので気にかけて聞いてくる。


うしちゃん、たぶん死んじゃた。

なんでたぶんなの?

答えるのが大変だ。


今日はうしちゃんが我が家に来るきっかけを書く


私の家族は皆動物が好きで

生まれた時から、人間だけで暮らしたことが無い


東京、仙台、大曲と転勤をして歩く中

ペットは連れてあるきやすい、インコちゃんと

エサを数日たべなくても生きていけるだろう魚たち


なので、毛の生えた大きなペットに憧れ強く(笑)

あれよ…ワシワシワシャワシャやりたいの


父は秋田に帰ったら!犬か、アライグマを飼う!と意気込んでいた。


秋田市に戻ってきたのはあたしが高校1年の春

牛柄の仔犬をもらう。

名は『さすけ』

買いたいと意気込みだらけ父は…

散歩へ1〜2回くらいかな?(笑)

あとは、祖父、私、母の3人でお散歩へつれていく

祖父がなくなって、私も忙しくなってからは、母が1人で面倒をみる。でも、病気で早期退職し、入退院を繰り返していた父の介護の合間の気分転換と、動物セラピーというか…

母はサスケを戦友だと言う。

サスケが死んだのは…娘が5才くらいだった

2003年くらいだったと思う。

母は毎日泣いていて。

自分の旦那が逝ったときより悲しいかったと、今も言っているくらいだ



そのころ

我が家に住み着いた野良猫に母はイボンヌと名付け

フードロスを無くそうとエサを与える。

やっちゃダメなやつ!


したら!

イボンヌに子供が生まれちゃって…

全員捕まえて、去勢手術をする。

最高8匹で(笑)ボール2つにごはんで

ワシワシ食う(笑)


我が家を建てるため、小屋の撤去、整地などで、バタついたためか…

チラホラと猫たちがいなくなり、

チョビだけがのこる。


あたしはこのチョビが不動産やさんをしていたのでは?と思えてならない。


チョビはこの辺のボスで

喧嘩して疲れて、ご飯たべて。またいなくなる。

1年ほど帰って来なかったり(笑)




1年ほど経過したころかな…

ハチワレ猫、牛柄の猫がチョビと他の猫たちと同行するのを見た。

なんだ、チョビ、一丁前に(笑)会合ひらいてんのかい!と思っていた、数週間後

ハチワレが!我が家の庭にやってきた。

家が2005年12月に完成し、その春2006年まだ寒い三月のことだ。この年は平成17年豪雪と言って、秋田市は珍しく3月までたっぷり雪があった。



母が、サスケが帰ってきたのだ!とすぐ家にいれ、牛乳とご飯でもてなす。

どのくらい、さまよったのか、

どのくらい野良をしたのかわからないが

ブッサブサの蛍光オレンジの首輪がついていた。

痩せていて、もうすでに立派な成猫だった。


警察、新聞、ラジオへ『牛柄のメス猫を保護しています』と飼い主をさがした。


首輪をしていたし、飼い主がすぐ現れるだろうと

とりあえず、『うしこ』となづけた



外チョビ 内うし


わたしは…犬の男性シンボルはサスケで確認済みだが、まさか猫はソコ(オシリのそば)にあるとはしらず(笑)


腹部に無かったので(笑)てっきりメスだと思っていた(笑)


後で調べたら、うしちゃん、去勢されていて

退化していたのと…小ぶりなそれ?だったみたいで(笑)オスだった〜



母が家にいれたが

結局断熱がすぐれ、全館暖房の我が家へ住み着く


初めは爪を出していたが、あたしが一回かな?怒ったら出さなくなった。

賢い猫


まあ…新聞や、ラジオで誤った情報で流したとて

飼い主はみつからず

暫時の名前が死ぬまで呼ばれることになる。


病院へいくとき、私は気にしなかったが

母が恥ずかしくて、診察券の名は、『ウー』になっている。


だれにでもご飯頂戴と言える猫で(笑)生徒たちにもしたわれ、ウシがよく道路の真ん中にのベタ〜っと横になっていると(笑)

生徒のお母さんたちに、車中から

「うし〜!どけて〜!」って叫ばれたり(笑)

呼ばれても、知らん顔で(笑)お前が避けろと言わんばかりのふてぶてしい態度。

でも、人間を噛んだり、引っ掻いたりは絶対にしなかったし、人間を怖いと思うことはまったくなくて穏やかで、芯のある猫だと思っていた


ある日、白い猫が我が家を訪ねてきた。入れてあげた。

猫2匹も3匹もかわらないし。

だいたいチョビは、いつ現れるかもわからない。


猫…猫…猫ひろしでヒロシとわたしが名付け。


ヒロシは、あまり喧嘩がつよくなくて、町の野良猫に追い回されて、道路に飛び出し1年もしないうちにいなくなる。

事故現場を発見したのは、うちの娘で。

通学路に横たわる猫はたぶんヒロシだからと、行ってつれて帰ってきた。

家の柿の木の下に眠っている。


うしちゃんとヒロシはほんの少しの間いっしょに入ることになる。


2014 10月

ユズちゃんがやってくる

チョビにそっくり(笑)チョビの子供だと思うのだ



外うし 内ゆず



我が家の玄関でミャオミャオ言っていた。

母が、水をかける。

遠くへ捨てにいく。車で出かけたのにユズちゃんはもう、家にいる


どうしても家の子になりたいみたいなので

家にいれた。


すると…

うしちゃん、家出する。



探した。本当に、探したよ。

帰ってきたけども、

我が家には来なくなり、母の家を選んだ。




ゆずが来て、1年ほどで…チョビがいく。

息子が高校に入った年…学校行っている間に息子の部屋で逝く



なので、母の家のコになって10年だね。

ゆずちゃんとは3ヶ月ほどで慣れて

時々実家へ来て、ご飯をたべたり、だっこされたり、ゆずちゃんの指導を頑張ってくれた。

ゆずがうしをまたいだり(笑)先を越したりすると、お叱り猫パンチが飛ぶ。

それをわざと楽しんでいるのか、ユズは懲りずなんども叩かれていたが…


母はウシに高い猫缶を与えていた(笑)


晩年はボケちゃって、ご飯を食べたことを忘れるのか、満腹中枢がイカれたのか

高いご飯ゆえに、家系を圧迫し

「私より!食費が高いのよ!あんた!」と怒られて死んでいく…。


まあ…うしちゃん

そんな猫様でした。


あっと言う間に、ネコどもが居なくなった。

新しい出会いが、御縁があればまた飼うかもしれないが…

今自分たちで新しいネコを探す気はまったくない


絶対にチョビが世話していたと思うのよね

ウシもヒロシも、ゆずも。

ゆずなんて生まれたばかりで、コブシ2つほどしかなくて(笑)人間に飼われた素振りもないし。

でも、人間の世話になろうとしてたわけで。

それを我が家に決めた経緯が知りたい

ヒロシはいったい何だった?(笑)


母の家の居間には

父の若い時の写真と、ウシと、サスケの遺影

そして猫缶が備えてあったけど


父はそこにいてよいの?(笑)