市川市 国府台・国分
~国府台編~
国府台は江戸川沿いで
高台になっている地形にです
2018年6月に
松戸IC や 京葉市川IC
そして
東関東自動車道の高谷JCT まで
伸びました
(高谷JCT は千鳥町の辺りです)
京葉道路、東関東自動車から
埼玉方面へ行くのはもちろん
埼玉方面から外環道で
京葉道路、東関東自動車道が
利用可能となり
飛躍的に便利になりました
② 国立国際医療センター 国府台病院
③ 里見公園へ
ちなみに
松戸街道は国府台を過ぎると
松戸矢切に入ります
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20200630/05/atsuom/b4/ce/j/o1080060714781845741.jpg?caw=800)
里見公園には
国府台城跡があります
戦国時代に
一体何があったのでしょう
《国府台合戦》
戦国時代に
下総国の国府台城一帯で
北条氏と里見氏が戦った合戦
①天文7年(1538年)
第一次合戦
②永禄6・7年 (1563・1564年)
第二次合戦
◎同じ頃の戦国時代の出来事
1534年 織田信長誕生
1536年 豊臣秀吉誕生
1542年 徳川家康誕生
1543年 鉄砲伝来
1549年
フランシスコ・ザビエルが
キリスト教を宣教
1560年 桶狭間の戦い
《第一次国府台合戦》
○勝ち
北条氏綱
北条氏康
北条幻庵
●負け
足利義明 (戦死)
里見義堯
真里谷信応
足利家の一門である
『足利義明 』は
下総国で勢力を広げていた
一方で
『北条氏綱』が
鎌倉や武蔵江戸城を占領
『足利義明』と『北条氏綱』
の関係は緊張
1537年12月に
『千葉昌胤(千葉氏24代当主)』
が『足利義明』から離反
1538年2月『北条氏綱』が
武蔵・下総の国境にあった
葛西城を攻める
『里見義堯』は『北条氏綱』
と決別し
『足利義明』に付いた
ついに
『足利義明』と『北条氏綱』が
戦う事になる
1538年10月
足利義明
里見義堯・真里谷信応の
連合軍が軍1万を従えて
国府台城に入る
一方、北条氏綱は
嫡男 北条氏康
弟の北条長綱ら
2万の軍を率いて江戸城に入る
「足利義明・里見義堯の軍」は
江戸川を渡河する
北条軍を討つ事では合意
だが、『足利義明』は自ら出陣
自らが上陸して敵を討つと主張
『里見義堯』の戦略は却下され
これでは勝利はないと考えた
『里見義堯』は
『足利義明』の敗戦を予知し
主戦場になる松戸方面ではなく
裏道である市川側からの
挟撃に備えた
10月7日
江戸川を越えた北条軍は
松戸城を経て
国府台の北側で衝突
次第に数で優勢な北条軍が
押し始める
ついに、『足利義明』が逆上
北条軍目がけて自ら突撃を図り
北条軍兵士の弓に当たって戦死
里見義堯は
「足利義明戦死」を聞き
結局一度も交戦することなく
戦場を離脱
この戦いの結果
北条氏の勢力は下総にまで浸透
一方、足利義明の戦死で
勢力地図が一変する
権力の空白域と化した
上総国南部には
この戦いでほとんど無傷の
里見義堯が進出し
久留里城・大多喜城などを占領
房総半島の大半を手中に収めた
《第二次国府台合戦》
(1563年・1564年)
結果:里見軍の退却
○勝ち
北条氏康
北条綱成
●負け
里見義堯
里見義弘
第一次合戦後
国府台は
小金城主『高城胤吉』の
所領になった
そして
『千葉昌胤』が
北条氏の傘下に入り
事実上北条領となる
永禄6年(1563年)
『北条氏康』『武田信玄』が
『上杉謙信』の
武蔵松山城を攻撃
『上杉謙信』から
援助の要請を受けた里見義堯が
嫡男『里見義弘』を救援に
向かわせた
この時に
国府台で阻止する北条軍と
里見軍が戦い
この時は里見群が
国府台城を納めた
同年の北条氏康の配下であった
江戸城の守将『太田康資』が
北条氏康への不満から
上杉謙信への
寝返りを図るも失敗
同族の
『太田資正』の元へ逃れた
上杉謙信は里見義弘に
『太田資正・太田康資』
の救出を依頼する
里見義弘は
永禄7年早々に
1万2千人の兵を率いてと
房総諸将を率いて出陣
1月4日国府台城に入る
北条氏康は
千葉昌胤らを援軍にして
北条軍も2万の兵を率いて出陣
1月7日に北条軍は江戸城を出て
里見軍を攻撃する
先陣の
『遠山綱景』『富永直勝』は
太田康資の離反を
察知できなかった責任を感じ
本隊の『北条綱成』よりも
先に突撃してしまう
現在の矢切の渡し付近を渡り
江戸川を越えて国府台を攻撃
しかし
里見軍の返り討ちに合い
遠山と富永は戦死した
北条軍は撤退
(したように見せかけた)
里見義弘は
北条軍を蹴散らかしたと
勘違いし
この勝利に気を良くした
出陣が正月早々でもあり
兵士たちに酒を振舞った
だが
主力を温存していた北条軍は
撤退したと見せかけ
1月8日未明に
再度江戸川を渡り
里見軍に夜襲をかけた!
酒宴後の里見軍は大混乱
里見義弘は命からがら
戦場を脱出した
永禄7年の戦いの後
北条軍は一気に上総にまで進出
しかし
苦境に立った里見軍も対抗し
北条軍に占拠された
佐貫城 (富津市) を奪還し
三船山合戦
(富津市と君津市の境) でも
里見軍は北条軍に勝利し
北条軍の安房遠征を
失敗に追い込み
両氏の戦況は
再び膠着するのでした
国府台が高台にあるのがよくわかります
この眺めから
江戸川を渡る敵軍を迎え討ったのでしょう
里見公園内には
ベーグルと惣菜パンが人気のパン屋さん
イートイン16席あり
8時開店で、朝食に訪れる方々がいました
全メニューがテイクアウト可能