明治学院大学 名誉教授 原田勝弘先生のコラムより




三井環さんが内部告発する「検察の“不正義”」と マスコミ報道の癒着

(2010年1月21日)




18日の朝、三井環さんがひっそりと静岡刑務所から釈放されました。




「ひっそりと」と書いたのは、彼の釈放の事実をわたしの調べた限り

では、東京新聞を除いてどの新聞もテレビも報道記事にして伝えてい

ないからです。彼がとても重要な情報を握っていることをよく知って

いたにも拘わらず、あえて在来の大メディアは三井さんの存在を無視

しているようにみえました。




 東京新聞には、18日の夕刊8面の片隅に小さなベタ記事で次のよ

うに記されていました。以下少し長くなりますが、事件のことを知ら

ない人のためにも記事を引用しておきます。




       三井元高検部長、服役終えて出所

    捜査情報漏えいの見返りに元暴力団組員から接待を受け

   たとして収賄罪などに問われ、懲役1年8カ月などの刑が

   確定、服役していた三井環元大阪高検公安部長(65)=懲戒

   免職=が18日、刑期を満了し、静岡刑務所を出所した。




    三井元部長は02年4月に逮捕される前、検察の調査活動費

   の不正流用について実名での告発を準備。1,2審で「口封

   じの立件で公訴権の乱用だ」と無罪を主張したが、認められ

   ず上告も退けられた。2審大阪高裁判決は検察の裏金づくり

   を一部認定したが、最高裁決定では触れなかった。

   

 上の記事の最後に記されている2審判決で検察の“うらガネづくり”

の一部が認定された、という点をとくに注目し、忘れないでおいて

下さい。




 以上のように三井環さんは、彼が冤罪だと主張する罪で大阪高検

公安部長の在職中に逮捕され、一審、2審そして最高裁で宣告された

1年8カ月の刑期を満期でつとめてこの3日前にやっと釈放されたの

です。




 皮肉なことですが、彼が釈放されたのは、実に絶妙なタイミング

としかいいようがないのです。




 なぜなら、ご存知のように検察がまるで“正義の味方”のように

振るまいながら巧妙に“リーク情報”という名の「撒き餌」を大量

にたれながし、一方で大メディアはまるでハイエナのように、それ

にとびついては連日のようにヒステリカルな魔女狩りの対象として

「小沢一郎」(そして結果的に民主党)に襲いかかっているのです

から。




(なお、こうした文脈での「小沢報道問題」については、後日に

当コラムで取り上げる予定ですのでその記事をお待ち下さい。)




 戦時中の大本営発表さながらに、何の批判もためらいもなく検察

の言い分をそのまま記事にしてしまうというまさに狂気の沙汰とし

か思えないこと(検察とマスメディアのあられもない蜜月関係の野合)

が起きていた、そのさなかに“検察の不正義”を告発する三井さんが

出所してきたのです。




三井さんがとても重要な存在として注目するのは、彼が検察の

公安部長というキャリア検事として高検の中枢に潜む闇の世界を

明らかにし、そこで常態化する「裏金流用」の実態を内部告発した

“ホイッスル・ブロワー”だからです。(なおホイッスル・ブロワー

=内部告発者については、わが明学のOBであり、ゼミとも交流の

あった串岡弘昭さんのはたしてきた先駆的な先達としてのお仕事や

活動を忘れることができません。串岡さんは今“ホイッスル・

ブロワー法”制定のために尽力されています)




この「裏金流用」というのは、調査費などの公金(税金)が検事総長

を頂点とする検察内の高級官僚の遊興費に転用支出されていた慣行が

くりかえされている実態を指しています。三井さんの内部告発が

テレビ朝日のザ・スクープという番組で行われることが決まり、

キャスターの鳥越俊太郎氏や週刊朝日の記者といよいよ会うという日

の朝、部下の検事たちに逮捕されるのです。




その経緯は、三井さん自身の言葉で記された以下のサイトでご覧下さい。

http://www012.upp.so-net.ne.jp/uragane/goaisatu..htm

http://www012.upp.so-net.ne.jp/uragane/index.htm

http://www012.upp.so-net.ne.jp/uragane/jiken2.htm




わたしは三井さんに科せられた罪が、検察側が「口封じ」のために

でっち上げたフレームアップであり、かぎりなく「冤罪」である

ように思いますが、もしかしたら彼の側にも罪をかぶせられる落ち度

や問題(私憤)を抱えていたのかもしれません。しかし、それにも

拘わらず彼が告発しようとした検察の闇に潜む「悪の秘密」を組織

防衛のため強権によって封じ込めようとする「検察の不正義」を

決して許すことができないと考えます。




検察当局のメディア支配はつよまるばかりです。ある大新聞の記者は、

もし検察の提供してくれる情報に反する記事を書いたら、次の機会

には名指しで記者会見の場からはずされ、情報が得られなくなって

しまうのでおとなしく従うことになり、そのうちなれ合いになって

しまうと証言しています。その結果として検察の主導による世論誘導

と情報操作が行われようとしているように思います。




事実、東京新聞が検察の情報では取り上げていない自民党の「二階

献金問題」を記事の中にまぜて書いたら、その直後には懲罰として

その記者の出入りを差し止めにしたそうです。そのあたりの検察と

メディアのなれ合い関係は、つぎのサイトに詳しくふれていますの

でご覧下さい。

http://ameblo.jp/aratakyo/entry-10436946084.html

http://ameblo.jp/aratakyo/entry-10439344730.html




なおジャーナリストの田中良紹さんは、最近あいついで出版された

『知事抹殺・つくられた福島県汚職事件』や『リクルート事件・

江副浩正の真実』などの文献をとりあげて、検察の「でっち上げ」の

手法を詳細に検討していくと、そのフレームアップを可能にしている

のがまさにメディアにほかならないと指摘しています。そのうえで、

「これらを読んで両者の手口を知ると、現在の報道から検察が描く

シナリオのポイントや弱点が読み解けるのだ」とのべています。

http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2010/01/post_205.html




またジャーナリストの江川紹子さんは、現在「小沢一郎事件」の捜査

を仕切っている東京地検特捜部長の佐久間達哉氏が過去に副部長とし

て捜査を指揮していた「長銀事件」で被告人全員が逆転無罪となった

最高裁判決や上記の限りなく冤罪に近い「福島県汚職事件」などの

事例をふまえて、結果責任の問われることがない検察の“無謬神話”

に対する深い懸念を表明しています。

http://www.egawashoko.com/c006/000315.html




日本での検察当局へのマスコミ報道の追随と癒着について、すこし

前ですが米国のニューヨーク・タイムスも詳しく論じています。

このなかで日本の主要メディアが検察の流す情報を独自の取材でウラ

をとることもしないで、無批判に記事にしているメディアとそれを

黙認している(あるいはそのことに気づいていない)この民主主義

国(日本)の未成熟な現実に注目しています。

http://www.nytimes.com/2009/05/29/world/asia/29japan.html?_r=1




そのときNYタイムスから取材を受けた社民党・保坂展人前議員(彼は

前の総選挙で石原慎太郎の長男を追い詰めながら惜敗している)が

のべている鋭い指摘も読んで下さい。

http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/df0749f5e2d86a22102072d4802ea0c2




三井環さんが検察の内部告発で一貫してのべている主張の中でわたしが

とらえたもっとも重要なポイントは、次のことばだと思います。




       警察の不正は検察が糺(ただ)すことができる。

      しかし、検察の犯罪を糺す機関は存在しない。

      マスコミを介した国民世論だけがそれを可能に

      するのです。




 民主主義国でありながら、国民から選ばれてもいない(したがって

その活動成果を国民に評価される場である選挙の洗礼を受けることも

ない)検察庁の高級官僚(公務員)が、一方的に予断にみちた政治的

フレームアップに向けて暴走し、そのために「大本営」的報道体制を

装置化している現況をこのまま放置していいのでしょうか。




このように有権者の側からは何のフィードバックもできず、「ノー・

チェック体制」の権力機関として独善的に君臨する検察機構に対して

わたしたちはどのように対応したらよいのでしょうか。




 わたしも三井さんが上でのべている「マスコミを介した国民世論」

が重要だとおもいますが、肝心のメディア側に“権力を監視する”

本来の批判精神と取材による実証的スタンスを発揮してもらうことが

前提になります。




 さらにその上で、検察に対してより厳しいチェック機能をはたすため

の「オンブズマン制度」を市民的、ないしはNGO的組織としてつくり、

たえず注視し監視してゆく制度が必要です。




さらにまた、国民が選んだ政治家が検事総長職など検察の最高ポスト

の決定に際して国会の場で「同意人事」の事項として議論し、間接的に

せよ民意によるチェックができる最低限のフィードバック機能を装置化

しておくべきだとおもいます。(検察、警察、裁判所でのとり調べの

過程における「全面可視化」も法制化すべきです。)




それは、軍の暴走を民が止めることのできるシビリアン・コントロール

が必要であるように、司法の独立を担保しながらもなお最小限度に

埋め込んでおくべき安全装置なのだと考えます。




さて、こうした検察の不正義に対して敢然と闘い、ジャーナリストと

しての自らの身にふりかかった「供述調書漏えい」をめぐる検察側の

策謀に反撃を加えることで、その卑劣なフレームアップの罠を白日の

もとに明らかにしたのが草薙厚子さんです。彼女はこの闘いで検察の

不当な狙いを阻んで「不起訴」をかちとったのです。




彼女は、検察との厳しい闘いの記録をみずからの貴重な体験をもとに

『検察との「50日間闘争」−いったい誰を幸せにする捜査なのですか』

(光文社)という著作にまとめ上げ2008年に出版しています。




いま草薙さんのこの本を読む(読み直す)ことで、「三井事件」や

現在進行する「小沢事件」、さらに「長銀事件」や「福島県汚職事件」

などとも通底する重要な共通項が浮かび上がってきます。

この点については、後ほど掲載を予定している「草薙さんが闘った検察

の不正義」(その2)をご覧下さい。




なお、冒頭にアップしたのは三井環さんのポートレートです。

手にもっている本は、彼が獄中で執筆した検察告発の書です。

二枚目は、その本の表紙をクローズアップしたものですが、

参考文献として下記にも記しておきます。




※三井環 著『告発! 検察の裏ガネ作り』(光文社)




今回のコラムでとりあげた主な文献を以下に記しておきます。




※佐藤 栄佐久『知事抹殺・つくられた福島県汚職事件』(平凡社)




※江副浩正『リクルート事件・江副浩正の真実』(中央公論新社)




※草薙厚子『検察との「50日間闘争」−いったい誰を幸せにする捜査

      なのですか』(光文社)