ブログデザインも冬モードに変わりました

(季節によって自動変換です)



今日、12月2日に衆議院選挙の公示がなされました。


突然?の解散で、何のための解散かという声も大きいようですが、立候補者の皆さんはとにかく当選しなければ何事も始まらないので、必死に選挙活動します。各党、各立候補者が選挙民の支持を得ようとそれこそ万般の手段を講じますね。

当選するためには投票してもらわなければならないので、投票してくれる人、くれそうな人を大事にします。

本来、社会矛盾をもろに受けていると思われる若者層が政治とか選挙に誰よりも関心を持つべきと多くの人が述べていますが、いかんせん彼らは社会経験が乏しく、浅慮なのでその辺の所がわからず投票率が低いですね。 ちょっと苦言。


< 「大義」なき解散・・・・「だいぎ」と読まないでね。「国体」の護持・・・「国民体育大会」のことじゃないよ。理屈も礼儀もわからないでは、支配層の大人に相手にされんぞ。言い過ぎかも知らんが、ものを知らないと他人にいいように扱われるぞ。それに選挙投票はかなりのゲーム感覚を味わえるぞ。 >


政治通の人たちは、安倍首相が長期政権を築くための布石だと見ているでしょう。短期政権がずーっと続いているので、政策立案や外交交渉の継続性のためにも、とにかくある程度腰を据えて政権を維持してほしいとお考えの人もいると思います。同時に、野党各党はそれを阻むだけの十分な力を培って来たかも問われます。

 

 そうですね。社会のあり方とか制度、その基となる法を決めるのは、結局は「政治」なのです。



・・・と、まぁー大きな視点で言えばそういうことになるんでしょうが、

投票に行くか行かないかが一般選挙民の当面の問題になりますね。 そこで、タイトルに掲げた「投票行動第3極」が何のことか、ということになります。

選挙・投票は大事だと思うが良いと思う候補者がいない、政党がないと思う場合どうするかです。

投票に行っても白票・X票を入れるか立候補者以外の名前をを書く、または投票用紙を持ちかえる。これは違法でも何でもなく、「無効票」になるだけです。実際にこの行動を取る人は相当数いるらしく、無効票が一県内だけで一万票を超えることもあるようです。これはこれで一つの意思表示の手段になるかもしれません。

もちろんこれは死票(無意味な票)になりますが。

ひとが困って苦しんでいるときに知らん顔していたのに、選挙のときばかりいい顔してお願いされてもねぇ、というような悪感情を持つ人は多いかもしれません。



何はともあれ、

選挙戦の動向には関心を持った方がよいのではと。







 

 だいぶブログ更新をさぼってしまいました。



先日18日に、映画俳優の高倉健さまが亡くなられたとの報が日本中を駆け巡りました。

驚愕と悲しみと、そしてついにこういう日がやってきたかとの感慨を覚えた人がたくさんいたことと思います。

以前、追悼文の類を書くことのためらいを述べたことがありましたが、一言申し上げずにはおれません。

 60歳以下の人にとっては、任侠映画の健さんはあまりなじみはないものと思います。東映を辞め、フリーになって新しい俳優像を模索して「八甲田山」や「幸福の黄色いハンカチ」に主演した頃からしか観ていないという人も多いのではないでしょうか。

当時、あの健さんが普通(極道ものではないという意味)の映画を演るというので多いに注目を集めたような記憶があります。 それ以後は出演作品を絞って大作ばかりでしたが、その全部とは言えないが大方は観たと思います。 

「最後の映画スター」という献辞を送っていた方もいました。

次回作の準備に入っていたとのことですが、作れなかった作品のことは語りたくないなどとは言わずに、どんな構想だったのか少し公表してもらいたく思います。健さまが出演承諾したものがどんな内容の作品だったのか知りたい人も多かろうと思います。



高齢化社会ということで、日本の人口の四分の一は65歳以上だそうです。 

レンタルビデオの時代が始まる以前、実際にせっせと映画館に足を運んだのは今の40代後半から50代、60代の人たちなんだろうと思います。 だから、最近は60歳代以上の俳優によるアクション映画が盛んに作られヒットするんでしょうな。

若い映画作家や俳優による名品もたくさんありますが、「映画」ということばに感じるイメージは世代によってかなり違うのかもしれません。








 ようやく秋めいてきましたね。


前回は、「ローマ教皇」の話を書きましたが、私自身にも個人的体験があるので、それについてはいずれお話したいと思います。



先日の9月11日はあの 3.11 からちょうど3年半であり、また政府事故調の「吉田調書」の公開なども重なったためか、大震災後の回復・復興に関する話題がメディアなどに多く登場したと思う。


記事タイトルの「 災後 」とは、もちろん東日本大震災後のこと。

この語を、最近ちらほら見かけます。

第二次大戦(大東亜戦争)が日本や日本人にとって大問題であったために、自然と「 戦後 」ということばが生まれたように、「 災後 」ということばを使う人たちが現れたのでしょう。


死者、行方不明者、震災関連死者合わせて2万数千人にもなり、いまだに避難・仮住居生活者が20万人以上にのぼるということです。

ただし、阪神大震災という大災厄が、衝撃的ではあったが、遠方の地域の人には「ひとごと」として風化していくのも早かったように、3.11の激甚災厄も、直接の関係のなくなった人たちには次第に切実な問題ではなくなっていきます。

それが悪いと言っているわけではなく、人や社会とはそういうものだから、関心を引き戻し注意を喚起するには、意識的、継続的な働きかけが必要になろう・・・・ということを申し上げているわけです。


(おまえ自身は何か援護活動をしたのか、と詰問されればミモフタモナイ。 わたしなりに少しく動いたつもりだが、それがどれほどの効果や成果があったかは疑問です。)


3.11被害地域はおもに東北地方太平洋沿岸部全域にわたり、原発事故被害という未経験・複雑な問題もはらみます。

でも、居住人口は全体でおそらく数十万人規模ではないでしょうか。総人口1億人余のこの国が、この規模の同胞を支援するのがそれほど困難なことだろうか、と思うのです。 被災者の多くは援助を求めるだけの人たちではなく、普通に自分で生活を営んでいた自助努力のできる人たちなのでしょうから。


何しろ広域なので、抱える問題も多様なのでしょう。都市計画が定まらなかったり、住民の合意形成ができなかったり、用地買収が進まなかったり(個人の私有財産を公といえども勝手にどうこうするなどできないことなのだ)、建設受注業者がなかったり、流出していく住民が増えたり・・・・・


わたしなどは、親や自分の仕事の都合であちこち転々としたから、何処かを故郷として強い愛着を感じるということはあまりないが、それでも他地域に引っ越したり、家などの不動産を処分することの大変さは体験的によくわかる。仕事を変えたり、失ってしまうことの辛さもわかるつもりだ。

(たまたま入れた大組織で、組織内力学ばかり考えて己を誇示することに汲々とする人種にはわからないことであろう ~~ いや、そういう人たちの中にも個人的には善良・優秀なる御仁がいるのではあろうと思いたい)


原発事故被害地帯(おもに福島県の双葉郡(ふたば・ぐん)と呼ばれる地域)についての最近の動向を知っている範囲でいくつかお知らせします。


1.原発事故放射性物質のための「中間貯蔵施設」建設準備開始を県当局が容認したので、具体的に建設予定地の地権者との交渉が始まる予定。 これが合意しないと建設は始まらないので、着工はいつになるかわからない。 県内各所に無数の放射性物質の仮置き場があり、さらに除染作業で廃棄物質が大量に出ることが予想されるので、県内他地域の人の中には何とか早く建設に同意してもらえないかと願っている人も多いと聞く。

確実に「中間貯蔵」になるように、政治家と科学者には奮起してもらいたい。


2. 明日9月15日から、東京から太平洋岸を北上する国道6号線(陸前浜街道)の第一原発付近の通行規制部分が自由通行できるようになるそうだ。(二車、歩行者は不可)

・JR常磐線はこの付近は不通で、開通の見通しはないらしい

・高速道路(常磐道)はこの付近建設中

 (ワールドカップ日韓共催の頃にJビレッジまで完成させたが、その後工事中断していた。復興のためにこの際仙台まで開通してしまえばよいのにと多くの住民が思っているだろう)



何しろ・・・・

不定期更新ですから・・・・

 いずれまた。