ようやく秋めいてきましたね。


前回は、「ローマ教皇」の話を書きましたが、私自身にも個人的体験があるので、それについてはいずれお話したいと思います。



先日の9月11日はあの 3.11 からちょうど3年半であり、また政府事故調の「吉田調書」の公開なども重なったためか、大震災後の回復・復興に関する話題がメディアなどに多く登場したと思う。


記事タイトルの「 災後 」とは、もちろん東日本大震災後のこと。

この語を、最近ちらほら見かけます。

第二次大戦(大東亜戦争)が日本や日本人にとって大問題であったために、自然と「 戦後 」ということばが生まれたように、「 災後 」ということばを使う人たちが現れたのでしょう。


死者、行方不明者、震災関連死者合わせて2万数千人にもなり、いまだに避難・仮住居生活者が20万人以上にのぼるということです。

ただし、阪神大震災という大災厄が、衝撃的ではあったが、遠方の地域の人には「ひとごと」として風化していくのも早かったように、3.11の激甚災厄も、直接の関係のなくなった人たちには次第に切実な問題ではなくなっていきます。

それが悪いと言っているわけではなく、人や社会とはそういうものだから、関心を引き戻し注意を喚起するには、意識的、継続的な働きかけが必要になろう・・・・ということを申し上げているわけです。


(おまえ自身は何か援護活動をしたのか、と詰問されればミモフタモナイ。 わたしなりに少しく動いたつもりだが、それがどれほどの効果や成果があったかは疑問です。)


3.11被害地域はおもに東北地方太平洋沿岸部全域にわたり、原発事故被害という未経験・複雑な問題もはらみます。

でも、居住人口は全体でおそらく数十万人規模ではないでしょうか。総人口1億人余のこの国が、この規模の同胞を支援するのがそれほど困難なことだろうか、と思うのです。 被災者の多くは援助を求めるだけの人たちではなく、普通に自分で生活を営んでいた自助努力のできる人たちなのでしょうから。


何しろ広域なので、抱える問題も多様なのでしょう。都市計画が定まらなかったり、住民の合意形成ができなかったり、用地買収が進まなかったり(個人の私有財産を公といえども勝手にどうこうするなどできないことなのだ)、建設受注業者がなかったり、流出していく住民が増えたり・・・・・


わたしなどは、親や自分の仕事の都合であちこち転々としたから、何処かを故郷として強い愛着を感じるということはあまりないが、それでも他地域に引っ越したり、家などの不動産を処分することの大変さは体験的によくわかる。仕事を変えたり、失ってしまうことの辛さもわかるつもりだ。

(たまたま入れた大組織で、組織内力学ばかり考えて己を誇示することに汲々とする人種にはわからないことであろう ~~ いや、そういう人たちの中にも個人的には善良・優秀なる御仁がいるのではあろうと思いたい)


原発事故被害地帯(おもに福島県の双葉郡(ふたば・ぐん)と呼ばれる地域)についての最近の動向を知っている範囲でいくつかお知らせします。


1.原発事故放射性物質のための「中間貯蔵施設」建設準備開始を県当局が容認したので、具体的に建設予定地の地権者との交渉が始まる予定。 これが合意しないと建設は始まらないので、着工はいつになるかわからない。 県内各所に無数の放射性物質の仮置き場があり、さらに除染作業で廃棄物質が大量に出ることが予想されるので、県内他地域の人の中には何とか早く建設に同意してもらえないかと願っている人も多いと聞く。

確実に「中間貯蔵」になるように、政治家と科学者には奮起してもらいたい。


2. 明日9月15日から、東京から太平洋岸を北上する国道6号線(陸前浜街道)の第一原発付近の通行規制部分が自由通行できるようになるそうだ。(二車、歩行者は不可)

・JR常磐線はこの付近は不通で、開通の見通しはないらしい

・高速道路(常磐道)はこの付近建設中

 (ワールドカップ日韓共催の頃にJビレッジまで完成させたが、その後工事中断していた。復興のためにこの際仙台まで開通してしまえばよいのにと多くの住民が思っているだろう)



何しろ・・・・

不定期更新ですから・・・・

 いずれまた。