今年も歳末、12月になりました

 あなたにはどんな年でしたか

 

 最近、大きな自然災害が続いています。

古来、この国は自然災害列島と呼んでもよいくらい災厄に見舞われてきました。それが日本民族に知恵と工夫を磨かせる一因にもなってきたのですが、あまりに大きな災害であると、小さな個人や集団は消滅させられてしまうということも起こってきます。

現代では特に甚大な被害をもたらした災害を「激甚災害」と呼び、法律用語にもなっています。

 

 「ひとり激甚災害」と書いたのは、対象が私ひとりで、他人には理解も共感も得られなかったため。私の場合は全くの人災です。

他人のせいにするな、という声が聞こえてきそうですが・・・よくもそんなことが言えるものだ、という気がします。

社会的に有益・善良な組織団体でも、構成するのは一人ひとりの人間ですから、時に醜悪な姿を見せることもあります。事実や真実よりも体面やつじつま合わせの方が大事だということも起こってきます。

特別なことではありませんね。社会経験が多少ある人ならば具体例をいくつか思い浮かべることができるでしょう。

 悪気はなかった、知らなかった、良かれと思った・・・だから刃を向けてくれるな。それは十分わかったとしても、当方は自分の生活、生存基盤を立て直さなくてならんので、ものわかりよくばかりはしていられない。

 二度社会的に殺され、実際にも二度死にかけた。二度あることは三度ある・・・・・なんてことにするわけにはいかんのだわ。

 

 

  お口直し、お目直しにブログデザインを変更します。

  よいクリスマス、年の暮れをお迎えください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   冬の到来

   いかがお過ごしですか

 

 2011年3月11日の大震災・原発事故から6年半余りが経ちました。

時の経過とともに、多くのことが自分とは関係のないことになって、関心も薄れてきます。誰にでもあてはまることで不思議なことではありません。 そうなると、知識や認識の上書きもなされないので、その後の変化や現状をほとんど知らないという状態になってきます。

東北・関東地方は言うに及ばず、当の福島県内でもそうなりつつあるのではないか。・・・あくまで推測ですけどね。

 現在の避難指示区域(強制避難対象区域)は、面積だけから見れば県全体の2.7%まで縮小しました。県内の人でも事故のあったことを意識せずに暮らせる人がほとんどでしょう。 もちろん、統計上の数字の多寡は当事者には何の関係ありません。そんなことで自分たちの問題を語られたのではたまらないでしょう。

 「フクシマ」、「FUKUSHIMA」と、ひとくくりにして語ることには無理があります。でも、何かを論ずるには必ず名称が必要ですから、なかなか難しいところです。

 

私の得た新情報いろいろ。

○第一原発80km圏の空間線量率は2011年11月と比べて約71%減少したそうだ(原子力規制委員会)。

除染と自然減衰のためと思われます。「帰還困難区域」と呼ばれる放射線量が特に高い区域が立ち入り自由になるのは何年後になるでしょうか。

 

○中間貯蔵施設について

 福島県内の放射性廃棄物の捨て場・保管場所として「中間貯蔵施設」の建設が始まっていますが、一部で廃棄物の搬入も開始されたそうです。

用地面積全体1,600haの内、民有地が1,270ha(79%)、公有地が330ha(21%)で、この公有地(町、県、国有地)は既に取得済みで建設が始まっているらしい。民有地の内、地権者連絡先把握済みが76%で、契約済みが51.5%だそうだ。個人の私有財産を国家といえども勝手にどうこうできませんね。ただし、反対運動のために活動家が地主となる動きは出ていないようです。

 

○農産品について

 韓国やEU諸国で出されていた福島県など(宮城、茨城、栃木なども含む)農産品輸入制限が解除された。

現在福島県内で行われている米の全袋検査も段階的に取り止めてもいいのではないかという声が生産者から出ているそうです。皆さんはどう思いますか。

 沿岸漁業も試験操業から魚種によって一部本格操業に切り替わったとのこと。

 

 

 ふくしま復興ステーションのサイト(福島県庁作成)

   http://www.pref.fukushima.lg.jp/site/portal/

 

  復興庁のサイト(政府作成)

   http://www.reconstruction.go.jp/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先日、映画「リュミエール!」を観ることができた。

 フランスのリュミエール兄弟が1895年に発明・実用化した世界初の映画の作品群に解説を加えたもの。映画・・・動画で、有料で上演したものです。

 

  兄  オーギュスト・リュミエール (1862~1954)

  弟  ルイ・リュミエール      (1864~1948)

 二人の父アントワーヌは粋人で実業家(写真乾版の製造など)で、兄弟は父の会社を手伝う形で映画製作・上演をおこなったらしい。

シネマトグラフと呼ばれる機材・方式で1895年に最初の映画を作った。

一編50秒の無音モノクロ映像だった。この形でそれから約10年間にわたって1500篇程の映像作品を製作したそうであるが、今回の映画はそのうち108篇を選んで解説ナレーションを加えて90分にまとめています。

コンピューター処理を施して、鮮明な映像がよみがえっています。おそらくは上演当時の人々が見たものよりはるかに美しい画像でしょう。

 50秒の映像といっても、芸術性を感じさせるものさえあり、画面構成に多くの技巧が試されていて、現在の映画技法の萌芽が見られます。

記録性という面でも優れていて、19世紀末から20世紀初頭の世界各地(日本も含む)の情景が映像という形で残されています。

 リュミエール作品群はリヨンのリュミエール研究所・美術館で保存管理されているそうです。

 

 映画のもう一人の父、トーマス・エジソン(1847~1931)は兄弟より早く動画撮影方法を発明していたが、シネマトグラフに啓発されて、スクリーンに映写する新たな機材・方式を考案した。これが、後の映画フィルム規格の基となっていったのだそうだ。

 

 日本で中小映画会社が合併して大手の商業映画会社(日本活動写真株式会社)が設立されたのが1912年(明治45年)。

チャップリンがサイレント映画の名作を数多く作ったのが1914年から1940年頃にかけて。

本格的なトーキー映画公開がアメリカで始まったのが1927年。(日本映画では1931年)

リュミエール兄弟、エジソンの時代に始まった映画、映画産業の発展の速さは驚くべきものがあります。

 

 映画爛熟の成果とも言える、

「風と共に去りぬ」 (アメリカ 1939年 カラー)

「天井桟敷の人々」 (フランス 1945年 モノクロ)

両者ともに3時間を超える2部構成の大作であるが、この頃兄弟はまだ存命であった。ふたりはこれらの作品を観ただろうか。どんな感慨を覚えただろうか。

 

   映画「リュミエール!」サイト

   http://gaga.ne.jp/lumiere!/

 

 ところで、

映画フィルムなどの記録媒体を復元する技術が進化するとともに、DVDやインターネット配信など販売する方法も進化している。昔の音声・映像を復元、販売するのが非常に簡単になった。 発掘、よみがえらせて「金になる」作品を作り出すこともできるだろうと思う。 チャップリン作品などはビデオテープの時代から盛んに販売されていた。 大金にはならなくとも小金を生み出す埋もれた作品はたくさんあるのではないか、と思う。