1月下旬から2月上旬は冬の盛りのはずなんですが・・・
近頃の天候天気はほんとに気まぐれなので
まだまだ油断はできません
冬ごもりの人狼(人老)には関係ないですけどね
昨年の7月に「岩手再訪 ①」という記事を載せましたが②を書かないでいました。このブログは備忘録の意味もあるので、簡単に続きを載せておきます。 3月中旬に岩手県三陸地域を訪れた時の記録です。
東北新幹線から釜石線に乗り換えて釜石駅で降り、
1日目、三陸鉄道の南半分
釜石 → 盛(さかり)=南の終点
盛 → 釜石
2日目、北半分
釜石 → (宮古) → 久慈 =三鉄の北の終点
というふうに乗車してみました。
学校の教科書で習う「リアス式海岸」を実体験するわけです。
教科書に載るということは日本の代表的、特徴的事物ということで、それを実際に見聞できるというのは感慨深いものです。
ときに急峻な所もあり、トンネルを幾つもくり貫いて鉄路を敷くのは資金も技術も必要なことだったろうと思われます。
久慈駅で降りた後に辺りを少し歩き回ったが、時間があったので、やっぱり海岸部、港は見たいと思った。観光案内所で聞いたら、港まで歩くには遠いと言うので、タクシーに乗った。
従来の漁港とは別に、大きな新港を建設中であった。高く堅牢な防潮堤もできあがっていた。
駅までの戻りは歩くことにしたのだが、途中で方向がわからなくなり、ケータイの電源も切れてしまった。ハタと困ったのだが、少し歩いているうちに偶然au店舗が見つかって、充電と休憩をさせてもらった。タクシーを頼んで久慈駅まで戻ることができた。
三陸鉄道は不運にも昨年秋の台風禍で再び寸断されてしまいました。
気の毒としか言いようがありません。また立ち直ることを祈るばかりです。
久慈駅からJR八戸線で八戸駅まで行き、そこで新幹線に乗り換え南下して盛岡に向かった。
八戸線も太平洋岸に沿って通っているのですが、三陸海岸とは打って変わったなだらかな海岸、波静かな砂浜が続いています。八戸はもう青森県ですね。
盛岡駅で降りて一泊したのですが、駅周辺は人通りも多く、たまたま耳にした店員たちの雑談から「盛岡はミニバブルみたい」と聞こえてきましたっけ。まぁ、その真偽はわたしにはわかりません。
翌朝、路線バスで30分ほど揺られて「啄木記念館」へ。
「渋民(しぶたみ)」という、人にいわく言い難い感情を催させる単語。
今では盛岡市に編入されています。
啄木が育った宝徳寺(父が雇われ住職をしていた)に隣接していて、敷地もかなり広いです。
同じ敷地内に啄木が代用教員として勤めた尋常小学校が移築保存されています。明治後期の地方の小学校のたたずまいを知ることができます。中に入ることもできて、木造2階建ての板の間の大教室が一階と二階にひとつづつ。窓はあるが暗すぎるのではないか、冬はどのように暖をとったのか・・・。教員室には校長と二人の教員と代用教員(啄木)の4人分の小さな机が接して置いてある。ここで、啄木は1年ほど勤めたが生来の反逆心のために騒ぎを起こして退職した。以後、生活に追われて北海道、東京と彷徨して満26歳で病没することになります。
宝徳寺から春霞の中に岩手山?が見えた。とても形の良い山で、啄木は幼い頃からこの景色を眺めていただろうと思うと、これも少し感慨深い。
・・・というわけで、盛岡駅から新幹線に乗って帰途についてこの小旅行も終わりです。
一年近くも前の話を今頃・・・スミマセン。
遊びまわって優雅な生活をしているのだな、
などとゆめゆめ誤解しないで下さいませ。