魅力覚醒講座第1回を受講して、1ヶ月が経過。
第2回目に向けてワークをしているけれど、既になかなかしんどい。
その前に、1回目受講後、どういった気付きや変化があったか、
自分が感じた範囲で書いてみる。
まず、私は常に「ちゃんとしなきゃ」「しっかりしなきゃ」という強迫観念にも似た思いに縛られ、
突き動かされていたことに気付いた。
身だしなみを整えて、きちんとした人に見られなきゃ。
朝は早く出勤しなきゃ。
約束は守らなきゃ。
仕事は優先しなきゃ。
空気を読まなきゃ。
面倒な雑用も率先してやらなきゃ。
なきゃ……どうなるんだ?
好きなだけ寝坊して、約束の時間に遅刻しても悪びれない。
気分ややりたいことを優先して休みをとる。
私が堂々とだらしないことをし始めたところ、家族が違和感を覚えたのか、反発しだした。
説教してくるけれど、でもまあ、それくらい。
逆に、今までは傍観していた別の人が、先に雑用をやってくれるようになったりして、
ああ、これまでは私が彼ら彼女らの出番を奪っていたのだなぁと気付く。
それなのに内心、面倒なことはいつも私ばかりやらないといけない!と勝手に機嫌が悪くなっていた。
何だったんだ、この空回り\(^o^)/
それにしても、なぜ私はこれほどまでに、「ちゃんとする」ことに拘っていたのだろう。
何がきっかけでこうなったんだっけ?
自問自答していくうちに、衝撃的なことが分かった。
私の価値判断は他人基準・他人軸になっていて、
人からどう見られるかが気になって仕方ない。
私は人から「ちゃんとしている」「しっかりしている」と見られたい。
なぜなら、認めてもらいたいから。
そのために、ちゃんとしていない・しっかりしていない態度はいけない。
だから、ちゃんとしていないように思える人を見ると、イライラする。
それは自分の中では許せないことだから。
こういう構造だ。
でも、どうして他人に認められないとけいないと思うのか?
これを掘り下げていくと、
私はもともと能力のない、ダメな人間である。
ありのままの自分には存在価値がないから、頑張って人から認められないと!
そうすることで、はじめて自分が存在してもいいと許される。
生きている理由ができる。
そう、思い込んでいたのだ。
「能力がない」
これは自分の心の奥底に刷り込まれている、キーワードの一つだ。
これについては、また改めて向き合うことになるだろう。
これまで素の自分、だらしないところのたくさんある自分を頑なに否定し、
本当に思うこと・感じることを人に話さず、
あたかも「私は生来きちんとした人間です」という風を装っていたのは、
ひとえに、認めたくなかったから。
私は、「人から認められない、選ばれない自分」を、許せなかったのだ。
自分自身が一番、許せてなかった。
だから、自分の意見や態度をちょっと注意されたり反論されただけで、あれほどまでに過剰反応していたのだろう。
何重もの理論武装をして、とげとげしい鎧をまとって、攻撃的な態度で防御して。
私はこれまで、「しっかりしている」のが自分の長所だと思って生きてきた。
でも、そうじゃなかったらしい。
軽くアイデンティティが崩壊するような思いを覚えている。