1人のワークが終わると10分程度の休憩を挟み、また次の人のワークへ移る。

かなり目まぐるしい。

 

自分のワークを終えた直後は、現実に戻ってくるのにしばらくかかる。

私は休憩中、先ほどの怒りを発散させる場面で、怒りの感情が出なかったのはなぜだろう?ということをぼんやりと考えていた。

 

 

4人のワークが終わって、本日のプログラムは終了。

4人それぞれのテーマが繋がっているように感じられた。

人のドラマでも、はっとさせられる言葉や場面がたくさんあった。

 

女性性を出して傷つくのが怖くて抑え込んだり、

お母さんは幸せじゃないから、子どもである自分も幸せになってはいけないと思い込んだり、

他者からの影響を引きずって、自分の価値観にしてしまったり、

でも、それは自分で選択していたことだから、逆にやめることもできるのだということに気付いたり。

 

このメンバーでこのテーマのドラマセラピーをやることには、意味があったと思わざるを得ない。

 

 

私が行ったワークでは、最後に両親や以前付き合っていた彼(の精神)に言いたいことを言ったが、

これはオーディオワークでもやって散々泣きながら向き合ったと思っていたけれど、

まだ出てくることにちょっと驚いた。

それだけ自分の中の深い部分に入り込んでいたのだろう。

実際にワークショップの場でロールプレイすると、より臨場感があるし、皆の前で宣言することで決心ができたように感じた。

 

はじめは皆に自分の心の中を覗かれるようで恥ずかしいと思っていたけれど、やってみると、皆に見守ってもらえているようでとても心強かった。

 

 

感情を感じる、表現するということの効力を改めて感じた。

ネガティブな感情を抑えているから、ポジティブな感情も分からなくなってしまったのだろうか?

自分の好きなものさえ分からなくなってしまったことに気付いたとき、途方に暮れた。

 

 

もう手放していいな、と思えた。

両親の言動や過去の恋愛を理由にしていたのは自分であり、

悔しくて、忘れないよう後生大事に握りしめていたのも自分だった。

でもだから、これからは

「それを理由にうまくいかないと思うのをやめる」

と決めてもいい。

 

私は過去とは関係なくありのままで価値のある存在だから、自分の好きに生きて幸せになっていい。

そう決める。

今、ここで決め直していい。

 

そう、思えた。