あさぎさんの講座中に、私は自分の好きなことに「書くこと」を挙げた。

文章を書くということはもちろん、単純に文字を書くことも好きで、

自分だけしか見ない日記やら読書ノートやら記録やら、テーマ別にいくつもノートを持っている。

他人にとってはただの紙きれだけど、私にとっては「自分」という存在を写し取ったもののような気がしている。

 

私は昔から、自分が考えたこと、見聞きしたこと、経験したことを記録として残したいという欲求が強い。

趣味である写真もそうだ。

同じ場所で同じ物を撮っても、撮影する人の感性によってまったく違うものが撮れる。

言葉もそうだ。

事実としては同じ経験をしても、それを経験した人によって感じ方や受け取り方は変わる。

まして、そこから派生する思考はなおのこと。

 

あさぎさんに「ブログ書いてないの?」と聞かれ、

「レポートを書こうと思ってたんですけど、順番に整理して書かなきゃと思うと書けなくて」と答えた私真顔

 

答えながらも思う。

いやいや、私は何を目指しているんだ。

これは完全に「余白を残す思考」(※)……!!

 

※私はもっと頑張ったらどうにかなる。けど、今は頑張ってないから(もしくは頑張れない理由があるから)、できないのは仕方ないよね~というダサい思考のこと。

 実は頑張ってもできない。できないのが自分ということを認められていない。

 

あさぎさんに言われた。

「めちゃめちゃなもののほうがいいんだよ」

 

出来上がったものっていうのは古いんじゃないか。

本だって、今は鮮度や旬のほうが大事にされている感じがするし、動画よりもストリーミング、そういう時代が来た。リアルさが求められる流れの中で、広告も、ライブコマースが一番売れるらしい。

不確実なものは人間にしか作れない。

編集をかけた時点で嘘が入るのに対し、これからはそういうもののほうが価値が出てくる。

 

 

今、現在の私自身の気持ちや感情。

それらもきっと、後から思い出す際に、自ら無意識に編集をかけている。

さらに、少なからず人の目を意識して文章化することで、再度の編集が行われている。

すると、当初の私が感じた情動や感動の臨場感が損なわれ、別物になっている可能性は大いにある。

 

(ただ、言葉というものの宿命で、感じたものを言葉に落とし込む過程でどうしてもタイムラグは生じる。

それを承知の上で、もどかしくも素晴らしいと思うから、こうして書こうとするわけだが)

 

 

私はまだ「ちゃんとしなきゃ」の呪縛から完全に解放されていなかったようだ。

というわけで、めちゃめちゃでもとりあえず書いてみようと思った次第。