長谷川穂積を育て上げたマル暴刑事から名トレーナーへ、山下正人さん
プロフェッショナルとは~第二、第三の長谷川を育てる夢を追いかけて
WBA元世界フェザー級チャンピオン長谷川穂積選手の所属する真正ボクシングジムは、神戸市の中心街三宮から電車で十分足らずの場所にあります。
ジムの名前は、会長、創設者または地域の名前が多い中で、ジム名「真正」は、嘘、偽りのない真っ正直な人生を生きるという山下正人会長の信念を表して命名されています。
長谷川選手は、ことあるごとに、今の自分があるのは会長のおかげと感謝しています。会長自身も「今の自分があるのも長谷川のおかげ」と感謝しています。この師弟からは「絆」いう言葉以上のものが感じられました。
それを証明するかのように、試合前のリング上で必ず会長と長谷川選手とで行なう儀式があります。「左のグローブはお前、右が俺、一緒に闘おう」。そんな言葉が交わされます。
山下会長は、まったく素人で、長谷川選手のトレーナーになりました。会長はかって、兵庫県立村野工業高校時代は、甲子園を夢見る野球少年でした。高校卒業後に兵庫県警に勤務、暴力団対策課の刑事として在職中に、体力を鍛えるというより、体を動かしたいという思いで千里馬神戸ジムに通い始めたことが、ボクシングとの関わりでした。
そんなとき長谷川選手の専属トレーナーが、当時の長谷川選手の力量から自分の方がやれるのではと、現役復帰したために、当時の会長から後任を要請され、そこで、小学校二年から父親のボクシング指導を受けた経歴を持つ長谷川選手との深い関わりが出来ていきます。
最初の頃の印象は、「唯一の左利きぐらい」だったと当時を振り返られました。専属となり、長谷川選手のスピードに驚かれます。長谷川選手にとってかけがえのないトレーナーになろうと、ビデオや試合を見ながら技術を身につけていかれます。
「ボクサーとトレーナーは相互の深い信頼がなければ、成果は期待できません。その信頼の絆育むには、選手がこの人のためにも強くなろうと思える人格が、トレーナーにないといけない。そのためには、トレーナーにボクサーを納得させるだけの技術や解釈力や、それを生み出す経験が必要なんです」
ボクシングは未経験ながらも、その真摯な努力と、野球や刑事で培った相手を読むという的確な分析力と、正直に生きる会長の人間力に長谷川選手も次第に傾倒していきます。
長谷川選手が十四度防衛という偉大なる世界チャンピオン、タイのウィラポンへの挑戦では、下馬評を覆しての勝利、会長の策は絶大な指南として、絆が深まっていきます。
ボクシングで自分の人生を表現したいと決意したひたむきな長谷川選手の練習姿勢に、より輝く舞台をと、会長は新たにジムの創設に動かれます。
世界チャンピオンのジム移籍は当然の事ながら容易ではありませんでした。会長の熱い思いに、一時は引退もよぎった長谷川選手の魂に火がつきます。天が二人に舞台を用意したとも言えます。
スポーツの世界に限らず、その競技や仕事に全く未知の存在の人が、偉大なる選手を育てたり、素晴らしい業績やリーダーシップを発揮することは決して珍しいことではありません。〇六年、日本ボクシング界トレーナーの最高の名誉とされるエディ・タウンゼント賞を受賞されています。
人には言えない苦労と、トレーナーとしてのライセンスをとるまでの研鑽については、相当な苦労と努力があったことが言葉の片鱗に感じられますが、会長はそのことは避けるようにして話されません。真のプロフェッショナルは背負ってきた人生を、言動で醸し出すと思いました。
人は公式の履歴書の他にもう一枚の履歴書を持っています。そのもう一枚に人生が詰まっていて、そこに人間的魅力や希望を感じさせます。
ジムのコンセプトは、チームワーク。それは、中学、高校時代の野球部生活を通しての強いチーム作りに何が必要かを学んでいました。選手の意見を良く聞く。その意見を取り入れる。全体から見て、大義と自分の信念を揺るがず決断していく姿にジムが一つになっていきます。
会長の指導は、ボクシングから離れて過ごす人生の方が遙かに長い、世界チャンピオンを育てること以上に、人の道を諭し、関わる人が、真正ジムでボクシングをしたものは人間力が違うということを徹底して教え込まれます。
アメリカの企業実験で、企業の成果を上げるためにどのような条件が必要か、工場の照明、設備投資などより、何よりも人間関係の構築が全てであった報告がありますが、そのことと重なるものを感じました。
スポーツの世界も同じではないかと思います。
会長の自らを計らわず逃げないで真っ正直に生きる姿勢から発せられる言葉に力が加わります。会長のためにという思いが行動に溢れるような雰囲気ができあがっていきました。
「身を以って教える者には従い、言を以って教える者には争う」(『十八史略本』)の言葉が髣髴されます。
長谷川選手の強さは、天性のスピードと勝負感、それに教えても容易には出来ない、相手の攻撃に目をつぶったり、防御の姿勢をとるより、体をかわして避ける高度な技術があります。
ジムには二十人のプロ選手と、体を鍛える一環として通ってくる八十人ほどの練習生がいます。
ボクシングでは減量が練習の厳しさ以上にきついと言われるが、会長から出た言葉に絶句しました。
「体重を試合前に落とせない選手というのは、プロとして失格で、そんな選手は試合を組みません。それは指導して減量するのではなく、プロならば自分の責任で取り組む最低限の責任です」と、指導以前の問題と片づけられました。
自分でなすべき事をきちんとする事が前提となっていて、わからない部分を教えるという姿勢です。
「ボクシングを職業としている者が、特段の事情がない限り、練習を休むとことは考えらない」
「そこができて、手をさしのべて舞台を用意してあげる」会長が言葉を添えられました。
「練習もだらだらとするのではなく、目一杯練習をします。私が指導するのは見ていて直すべき技術的なことだけですね。頑張れ!と声を掛けるのは練習生に対してであって、プロの選手に励ましたりすることはありません」と語られます。
試合が決まると練習に力が入るということが普通の中で、練習に意欲的でないのは試合を組まない。かませの試合は絶対に組まない。
そのなかで、平成二十二年度はジム年間最高勝率を記録している。
長谷川選手の対戦相手も強豪との対戦ばかりです。
タイトル防衛が一ラウンドでKOの試合が続いていましたので、長い試合になったときの不安を危惧して尋ねますと、 「十二ラウンド目一杯戦うトレーニングをしています。たまたま早かっただけです」
真正ジムに通ってくる選手や練習生の挨拶がしっかりしていることも気づかされます。 玄関先に来客の姿が見えると、誰かがするだろではなく、身近な者がさっと動く風土がありました。ジムが出来てまだ二年。会長は言葉を選びながら
「私が指導したのではなく、気づいたら自分から動く。ボクシングというのは最も危険なスポーツです。何とか、適当にという世界ではないんです。そこで生きるには、日頃からどうすればいいかと考え行動することを体に染みつかせておかなければならないんです」と、語られました。
長谷川選手がタイトル防衛を重ねていくのは、会長の対戦相手の弱点の的確な分析力が大きいと専門家もその卓抜した洞察力には舌を巻く。
「対戦が決まると相手の選手のビデオを何度も見て研究をします。私の思うことを伝えますが、必ず選手の意見も聞いて、当日の試合をイメージします。勝つために大変だと思うことはプロとしては恥ずかしいことです」と言葉を重ねられます。
量の消化が質への変化を来たす。何事においても、我々はそのような体験を経験している。平々凡々と消化するのではなく、一つ一つその根底になるものを確認しながら、その特徴を見破らなくてはいけない。
人はそれぞれプロの道にはいっていきます。
プロとは、当然しなければならないことを指導されてするのではなく自らすること、そんなことを教えられた思いでした。
十一度目の防衛で、WBO世界チャンピオン・モンティエルに負けます。
勝負を決定づけた一撃は、長谷川の右足を、モンティエルの左足が踏みつけて打ったようなパンチを録画で映し出していました。
ロープダウンをとってカウントしても良かったのでは~そんな選評にも、潔く勝ったものが強い。負けは負けと、一切言い訳はせず長谷川選手の気持ちが前向きになるように次の試合に向けての準備に切り替えています。
再戦が難しく、減量苦もあって、二階級あげて迎えた世界タイトルマッチで無敗のブルゴスをマットに沈めます。
会長はジムに来る練習生一人一人は、自分の子ども同然、それぞれ性格も違う、一人一人と対話しながらどのようなプログラムがいいかを設計する。「梅は切ったら伸びるが桜は切ったら朽ちる」という言葉がありますが、その適性を見抜く慧眼が、指導者には求められます。
そして、今年の四月八日、指名試合として世界一位の強豪を迎えての防衛戦。序盤はかなり優勢に試合を勧めながら、一発に沈んでしまいます。
しかし、試合後の記者会見での潔さに、清々しさが伝わってきました。
スポーツでは、勝ち続けることは至難の業です。逆境にあるときこそ、指導者の手腕の発揮どころで、再び、人々の期待に応えられる舞台を築かれると信じています。
私自身も、先輩の指導者から、選手が苦しいときこそ手腕を発揮するのが、真の指導者だと、言葉や対応の在り方を教えていただきました。
座右の銘をと最後に求めましたが、真っ正直に生きることを再度強調されました。
人は着飾ったり繕ったりして、自らストレスを背負う。正直に生きることが、いかに疲れないかを教えられました。
目標は、「第二、第三の長谷川を育てること」、と目を輝かされる。
出来ないことを出来るようにと教え導くことが指導者の使命であるが、会長に真の指導者の風格を感じました。