私が国民教育の父森信三先生の名前を知りましたのは、(教壇に立ちながら恥ずかしい話ですが、)15年目の時に参加しました生徒指導の研修会で、講師の先生が『修身教授録』(致知出版社刊)を紹介され、そのなかから森先生の指導を紹介されたときでした。
教育者の一人として、かすかにお名前の記憶があるぐらいで、どんな先生かは全く知りませんでした。
当時、生徒指導に苦慮していた私は、生徒の愚痴をこぼしてばかりで、現況を説明しながら、どうしたら成果の上がる生徒指導が出来るのかを質問しました。
講師の先生が、森信三先生の『修身教授録』のなかに、こういう指導がありますと諭されました。
森先生は、「厳しい事情はよくわかりました。それであなたは今、何をしておられますか?と問い返され、続けて、仮に大講堂が停電になって、真っ暗になったとします。そのとき、5ワットの電灯一つ、ローソク一本あれば、手探り、足探りせずに講堂の人たちは外に出ることが出来る。あなたの言われた状況の中で、あなたはなぜ、ローソク一本を立てようとされないのですか。その気持ちがないのですか」という一節を引用されて、解決のために何をしたのかと問われ、はっとしたのを思い出します。
私の転機になりました。困難なことにぶつかると、逃げたり不満をこぼすのでなく、そのために何をしたかと思うことで、冷静に前向きになれることを学ぶきっかけになりました。
早速、書店で『修身教授録』を買い求め、森信三先生の薫陶を受けられた方から、直接森先生のことをいつかお聴きしたいと思い、今から10年ほど前の7月下旬の暑い日、岸和田在住の寺田一清先生を訪ねました。そして、学生時代に直接指導を受けられた兵庫県養父市在住の村上信幸先生を今夏訪ねました。
皆さんが、理学療法士、作業療法士になるためというよりも、なられた後に極めて参考になる話を伺いましたので紹介します。
教育者にあらず、宗教家にあらずと、自分を一つの枠で縛られることを嫌われる森先生は、人間の幸せについて、「自分の成すべき事を何よりも先に行うこと。そして、最後まで仕上げること。併せて、そのことが人の役に立つこと。人に必要とされていることでなければならない。もう一つは感謝すること」と力説されていたそうです。
日本で最も潰したくない大切にしたい会社の一つにあげられている日本理化学工業という会社が神奈川県の多摩川沿いにありますが、昨年夏に訪ねました。従業員の7割が知的障害者で、学校等で使うチョークを作って半世紀になる会社です。
工場の敷地の一角に「働く幸せの像」という、彫刻家松阪節三さんが制作されたモニュメントがあります。その台座に創立者で現会長大山泰弘さんが、人間の究極の幸せについて言葉を刻まれています。その言葉は、大山さんが、ある方の法事のために禅寺を訪れ、寺の住職と談話する機会があって、工場にいる知的障害者が、なぜ施設より工場に来たがるのか問われた時に、住職から聞かされた言葉でした。
住職は「人間の幸せは物やお金ではありません。人間の究極の幸せは、次の四つです。一つは人に愛される(感謝される)こと。二つ目は、人に褒められること。三つめは、人の役に立つこと。そして、最後は、人から必要とされること。施設で保護されるより、工場で働きたいという思いは必要とされ、役に立っているという思いからでしょう」と答えられたそうです。
いずれも、自分で限りを尽くして頑張らなければ得られないことですが、人間はどうしてもうまくいかないと周囲に不満をこぼしたくなります。
森先生の「悪い欲を持たず、愚痴を言わず、怒りを抑えて」という生活信条の一端を寺田先生が語られました。
森先生は、生徒へは怒るということはありませんでしたかという問いかけに、「烈火のごとく怒られることも屡々で、それはとにかく厳しかったが、優しさもそれ以上でした」と、森先生の指導を直接受けられた村上先生は、その指導された光景をしっかり記憶されていました。
叱る場合も「君ともあろうものが」と、相手に敬意を表して叱責されたことや、良いことに対しては「さすが君だなあ」と、畏敬の念を抱かれて褒められたという話を伺って、ちょっとした言葉が人を育てることを改めて教えられた気持ちになりました。
もう少し早く聞いておけばと後悔しましたが、皆さんが関わる患者様に対しても、リハビリに一生懸命になれない人、前向きにリハビリに取り組む方には、この対応は大切かなあと思います。
さすが何々さんだ!心に留めておいてください。弱っている人にとっては、直接関わる人の温かい励ましや、褒められる言葉は計り知れない力になります。
寺田先生の住まれる岸和田には関西空港から電車で15分ほどで着きます。自宅まで住所を頼りに訪ねていく予定でした。飛行機の時間だけお伝えして、一応の訪問時刻は何時ぐらいという程度で打ち合わせていたにも関わらず、改札口で待たれておられた姿に感動、感激でした。それは、村上先生についても同じでした。
寺田先生は、岸和田の商店街で呉服商を営まれて、38歳の時に森信三先生と会われ、その後師事されて『森信三全集(続編含めて全八巻)』の責任編集をされています。また、各種の『読書会』を主宰されています。呉服商は時代の波にのまれて60歳で廃業されています。
村上先生は、神戸大学で森先生の薫陶を受けられた後、小、中、高校で教師をされ、折々、森先生、郷里の偉大な教育者東井義雄先生の教育を語られておられます。
森信三先生について寺田先生からお話を伺いながら、最も記憶に残った言葉が「全ての悩みは比較から生ずる。人と比較しない」、自分のあるがままに生きることが大切だということでした。
両先生とも、森先生の根底には常に「人生二度なし」という冷厳な人生訓を語られました。死という残酷なる平等のなかで、「時を守り、場を清め、礼を正す」という、時との関わり(時間)、場との関わり(空間)、人との関わり(人間)を大切にと諭されていました。併せて、「挨拶をする」「呼ばれたら返事をする」「履き物をそろえる」という生活指導を徹底されました。
寺田先生は、感謝と足るを知る。足るを知るというのは、決して現状に満足するのではなく、全てを受け入れるということを添えられました。
村上先生が学生時代の思い出として、研修旅行についてこられた森先生が、入浴の時間に入ってこられて、背中を流しましょうと学生に関わられたことを語られました。
高い位置から学生を見ないで、対等に触れ合う姿勢が伺えます。
「働く幸せの像」に期された四つの言葉を、天職を通して味わう準備をしてください。