幸一郎くんの父親の話
次の日から幸一郎くんの病状がだんだん悪くなってきて、五郎との会話を楽しむ事ができなくなってきた。
それでも五郎は、幸一郎くんの様子を見に毎日昼過ぎに病室に来ていた。
そんなある日の事だった。
五郎がいつものように昼過ぎに幸一郎くんの個室に往ったら、個室の引き戸の前で幸一郎くんの父親が待っていた。
五郎は、幸一郎くんの父親は何回か顔を見た事があるけど、きちんと話した事がなかった。
いつも息子が大変お世話になって、ありがとうございます。
俺は縁があって、幸一郎くんの友達になって、ただ友達として当たり前の事をやっているだけだから、そんなお礼なんかいらないです。
そう言ってくださって、心の底からうれしいです。五郎さんにお話したい事がありまして、仕事を休んで、来ました。
話は何ですか?
腰を据えて話したいから。談話室に行きましょう。
わかりました。
五郎はそう言って、幸一郎くんの父親の跡に付いていって、廊下の突き当たりにある談話室に行った。
談話室に着いた2人は、そこに置いてあるソファーに座った。
あらためて、俺に何の話がありますか?
昨日、主治医の先生に「息子さんの命はこの2.3日限りかもしれません」と言われたのです。
それは、本当ですか?
五郎はそう言って、涙を一粒流した。
山口さんが五郎さんを連れてくださるだいぶ前に、幸一郎が「僕が死ぬ時は、大好きなジャパンの助手席に座って、ジャパンで走っているうちに、死んでいきたい」と言ったのです。幸一郎の最後の時に、あなたのジャパンに乗せて走ってもらいたいのです。幸一郎の最後の望みだから、なんとか叶えさせてあげたいのです。
その時は、お父さんとお母さんはジャパンの後ろに乗ってくれますか?
もちろんですよ。
わかりました。幸一郎くんの最後の望みを叶えさせてあげましょう。
ありがとうございます。
幸一郎くんの父親はそう言いながら、頭を深々と下げた。
五郎はこう叫んで、泣き出した。
その時の五郎の叫び
まだまだ生きたいだろうのに。生きていけば、重いハンディを持っていても楽しい体験をたくさんできただろうなのに。どうして幸一郎くんは、後わずかで命の火が消えてしまうんだ?俺は、めちゃくちゃ気に入らないです。
その叫びを聞いた幸一郎くんの父親は、五郎にこんな事を言った。
たった1か月前に知り合った幸一郎のためにこんなに泣いてくれる五郎さんは、ものすごくやさしい人ですね。
どんなに友達になった期間が短くても、心通った友達に悲しい事があったら、その友達のために泣くのが当たり前でしょう。
そうですね。さあ、幸一郎かあなたの事を待っているから、涙をふいて、早く幸一郎の所に行ってあげてください・お願いします。
幸一郎くんの父親はそう言いながら、明るい緑のスラックスのポケットから白いハンカチを取り出して、自分のために泣いてくれている五郎に渡した。
ハンカチを貸してくださって、ありがとうございます。
五郎はそう言って、渡されたハンカチで涙をきれいにふいて、そのハンカチを父親に返して、幸一郎くんの個室に行った。