色々あったけど、40歳近くまで生きてこれました。 -30ページ目

色々あったけど、40歳近くまで生きてこれました。

 横浜市北部、青葉区、都筑区、緑区に不動産賃貸・管理を担当に地域密着で毎日走りまわっています。都筑区生まれ、緑区育ち、青葉区の高校卒業、青葉区の会社に働いて、田園都市線市ヶ尾駅で不動産業を営んで、自宅は緑区です。生粋の横浜北部人間です。
 




 

家人に昔貰った時計の電池が切れてしまったので、ホームセンターのサービスコーナーに持っていきました。タグ・ホイヤーです。

 「電池交換お願いします。」
 「840円ですが、外注で1週間位掛りますが宜しいでしょうか?」
 「はい、お願いします。」と時計を差し出すと
 「当店では取り扱いできない商品です。たぶん、時計店でないと扱ってくれないと思います。」
 「はぁ、分りました。」と店を後にしました。

 諦めの悪い私は、近所の大手カメラチェーンに再び依頼。
 「了解しました。海外製なので2500円になりますが宜しいですか?」
 「ハイ!お願いします。」
 「では30分後位に来て下さい。」「ハイ!」と1時間後、再び店を訪ねると。
 「すみません、当店ではできませんでした!」
 「えっ、(出来るっていったじゃん!)」と思いながらも、口論してもお互いイヤな気持ちになるので、店を去りました。

 とうとう諦めて、デパートの時計店に行きました。その店には「時計技師がいる店」と看板が掛っていたので、期待を込めて訪ねました。

 「タグ・ホイヤーの〇〇サービスに入っていますか?」
 「いいえ、入っておりません。」
 「入会していれば、6000円何ですけど、入会してないならば、10,000になり、納期は1か月後になります。」
 「えーマジっすか?」
 「マジです。」約10秒間の店員との間に色々な事が頭をよぎりました。何しろ10,000円です。特別な電池を使っている訳でもないのに高すぎると考え。
 「高くないっすか?」
 「皆様同じお値段で交換させて頂いております。」と値段の交渉に持ち込む前に封じられてしまいました。

 「少し考えます。」
 「ゼヒお待ちしております。」

 それでも諦めの悪い私は、色々な店で交渉をしましたが、全ては上記のようなやりとりでした。

 一度帰宅して「何とかならぬものか」と考えていたら、会社の近くにとっても小さい時計店があるのを思い出しました。昔、前の会社の人に頼まれて時計を受け取りに行った事があり、いかにも職人ぽいおじいさんが経営している店です。

 そこでも、断られたら素直にメーカーに出そうと思いました。とゆうより、まだ店があるかが不安でした。

 訪ねてみると、店は経営して、おりおじいさんも健在でした。
 「あのー電池の交換をお願いしたいんですけど・・・・」と時計を渡すと
 「あーちょっとそこで座って待っててね」とルーペを目に挟み込み作業を始めました。
 手際よく、専門工具を出して、集中してると思いきや、テレビのニュースに突っ込んだりしていました。

 約10分後
 「いい時計だから大事にしなさい。」と「私は「おいくらですか?」と尋ねると、「1000円」と財布を出すと1万円札しか無く、小銭を数えたら800円ありました。

 「じゃ800円でいいよ」
 「いや両替してきますから・・」「いいんだよ。」おじいいさんかっけー
 今までの苦労は何だったんだろうか?

 話好きのおじいいさんで、それから30分位お話をしました。メーカーで勤務ご店を開いたとの事です。

 有名人の時計も沢山直したそうで、昔のプロ野球選手や俳優の時計も直してきたそうです。金田正一さんとは昵懇の仲で完全試合した際のボールと盾をプレゼントされたそうですが、さすがに「これは貰えない」とお返ししたそうです。

 務めていた会社は、皇室の方の時計も直していたそうですが、修理の際、時計に〇〇宮様とか付いていると、他の社員はやりたがらなかったそうです。

 おじいいさんは会社がタグを外した宮様の時計と個室を与えられて
 「今日一日、この時計を修理する以外は何もしなくていい。」と言われ「修理が終わったら帰っていいよ。」との社命、おじいさんはさっさと直して、銀座汲んだりで遊んでいたそうです。
 
 皇居にも何回か招待されたそうです。ハイヤーのお迎えつきで!
 

 最後に「若いんだから、銀座で遊ばなきゃだめだよ。色々な人がいるからよく見ておいで。」と言われました。

 職人中の職人だなと感動しました。本物のサンタクロース出会った気持ちです。

 



 件の時計です。タイガーウッズモデルです。

 前回、今年は極力減らすと宣言してみたものの、結局、スケジュールが黒くなっています。

 ただ、二次会に行かないという自戒はまもっています。

 私の飲むペースは早くて、二次会位には記憶が飛び、三次会では正体不明になってしまいます。その結果、翌日、起床すると「また、やってもうた!」と反省して記憶を辿らなければなりません。

 何が起きていたのか、同席者に確認の電話をすればいいのですが、「何か凄い事」をやらかしていたら怖いので、その日は同席者には連絡等をしない事にしています。


 とはいいつつも、忘年会での粗相はつきものなので、今まで私が「やってもうた」事件を書きたいと思います。


 第3位
 仕事納めの忘年会の帰りに、階段で転んで顔面強打、顔面に階段の跡が付く。
 一昨年の事ですが、両手をポケットに手を入れて階段を登っている最中に、転倒し受け身を取らず顔面をコンクリートの階段に強打、見事に顔に線ができ、顔がアンパンまんの様に膨れ、その年の年末年始はマスクをしなければ外出ができませんでした。

 第2位
 山の手線品川止まり、20代半ばの頃ですが、山の手線の最終線に間に合ったかと思いきや、まさかの品川止まり、今ならマンガ喫茶、サウナ、カプセルホテルと避難方法は思いつくのですが当時は紅顔の青年、交番で「朝まで暖をとらして下さいと」頼むも無下に断われ、駅構内でホームレスだか酔っているサラリーマンを真似て、段ボールハウスを建設して寝るも、情けなくなってきたので、切り札のカードを使いタクシーで帰宅、途中で寝てしまい、高速を使い、遠回りまでされ、自宅まで35,000円の請求。
 この件は自分の中では「品川事件」として黒歴史に刻まれてます。

 番外
 サラリーマン時代ですが、会社の忘年会の二次会の席で、普段から酒乱で有名な先輩が私に暴言を放ち、乱闘。社長のお咎めはありませんでした。見ていた人からは「笑顔から急に狂犬のような顔になったとの事です。」
どんな事情があったにせよ、先輩に手を出すのは悪い事です。後日、その先輩にはしっかりと謝罪しました。
 しかし、温厚な私が怒るなんて、いったい何を言われたが、いまだに思い出せません。

 第1位
 まず誤解のないように、結婚前の話です。
 不動産業者仲間と二次会も終わり、誰かが「キャバレーに行こう!」といい、「行きつけの店がある」と誰かがいったので、きっとお友達価格で飲ませてくれるのだろう。思い付いていきました。お店には、大学生やら、若い女の子が沢山おり、おじさん達は入店と同時にオオカミになりました。
 当時、私はそういうお店に行ったのがほとんど無く、何を話していいか分らずに、大学生相手に「何を習ってんの?」とか不毛な会話をする横で、オジサン達は、杯盤狼藉の限りを尽くして、ボトルはガンガン入れるは、フルーツの盛り合わせを頼むはの大名騒ぎでした。
 どれくらいの時間が経ったのか覚えておりませんが、「じゃーそろそろ帰るかー」と精算をすると、「一人62,000円ねー」その瞬間、酔いが覚めて、失神というより、失禁しそうになりました。私はそんな現金はもっておらず、誰かのカードで支払いを済ませたのですが、後日、集金に来られた時は泣きたくなりました。というより泣きました。

 それがトラウマになり、接待される以外で女性がいる店には、どんな事情があろうと行かなくなりました。今は、私もオジサンになったので、当時のオジサン達の気持ちはわかりますが、恐ろしい思い出です。

 失敗談は多に沢山ありますが、書いたらただの反省文になりそうなので、この辺で終わりにします。

 本日は、小林家の小林家による小林家の為の忘年会です。
 今年もこの時期がやってきました。

 20代は人脈を広げる為に、積極的に参加していたので、12月は半分は忘年会という名の飲み会でした。昔の手帳を見たら、10日連続忘年会だった事もありました。

 しかし、この歳になってからは全ての忘年会に参加するのは身体が持ちません。据え膳は全て食べてしまう性格なので、会費以上に呑み且つ食べます。

 しかしながら、30代中盤、身体に応えます。

 以上の理由から、断るべき所は断って、なるべく一次会のみで終わらせようと考えています。(二次会、三次会と散財してしまうからです。)

 ここで難しいのは、どの忘年会に参加して、断るべきのなのかの線引きです。

 本日現在、断れない忘年会が5件入っています。さてこれからが問題です。後は、日頃親交がある順になるわけですが、でも、久しぶりに会う友人とも会いたい。ムズカシイトコロデス。

 とりあえず、自分から、「飲み会、忘年会、お酒」というワードは発さない事にします。

 酔って、階段から落ちたり、エスカレーターに巻き込まれる等、怪我だけはしないように注意したいです。