おじいちゃん、灰になるの | 微塵のごとく

微塵のごとく

大震災からブログをお休みしていました。あれから、8ヶ月。ブログを再開しようかなと思いますが、さぁて?!

遊雲さん父さん―小児がんを生きたわが子との対話/有国 智光
  有国智光さんのホームページはここ
¥1,260
Amazon.co.jp

ところで、死は、人によって三通りの現われ方をするのだそうだ。


死を通じて虚無に出会う人。

自己に出会う人。

そして仏(ぶつ)と出会う人。


死が虚無のよそおいで現れるのだとしたら、確かに死と

直面するのは恐怖に違いない。それは絶望と同義だろう。


あるとき、お葬式の導師で火葬場へ行って、別のお葬式の

一団と行き合わせたことがある。父さんが葬儀を執り行った方の

棺が霊柩車から降ろされるのを見守っていると、突然

女の子の声が耳に飛び込んできた。


「おじいちゃん、これからどうなるの?」


思わず声のほうを見ると、斜め前を小学校低学年くらいの子が

お母さんに手を引かれて歩いている。

さて、このお母さんどう答えるのだろう。

全身を耳にしていると、


「おじいちゃん、灰になるの」


これには───言葉を失った。

この子が聞きたいのはそんなことじゃないはずだ!


・・・・・・・・・・・・・死は虚無などでは決してない。



私も、朋くんが3年生になったとき、


「じいちゃんの将来の夢は何?」って、

聞かれたことがありました。


そして、私は、こう答えました。


「死ぬこと」



私は今、この言葉を撤回しようと思います。


じいちゃんの将来の夢は、


仏さまになることです。



広島ブログ 人気ブログランキングへ にほんブログ村 オヤジ日記ブログ 60代オヤジへ
にほんブログ村

少しでも多くの方に読んでいただきたいので、

ブログランキングに参加しています