- 遊雲さん父さん―小児がんを生きたわが子との対話/有国 智光
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ところで、死は、人によって三通りの現われ方をするのだそうだ。
死を通じて虚無に出会う人。
自己に出会う人。
そして仏(ぶつ)と出会う人。
死が虚無のよそおいで現れるのだとしたら、確かに死と
直面するのは恐怖に違いない。それは絶望と同義だろう。
あるとき、お葬式の導師で火葬場へ行って、別のお葬式の
一団と行き合わせたことがある。父さんが葬儀を執り行った方の
棺が霊柩車から降ろされるのを見守っていると、突然
女の子の声が耳に飛び込んできた。
「おじいちゃん、これからどうなるの?」
思わず声のほうを見ると、斜め前を小学校低学年くらいの子が
お母さんに手を引かれて歩いている。
さて、このお母さんどう答えるのだろう。
全身を耳にしていると、
「おじいちゃん、灰になるの」
これには───言葉を失った。
この子が聞きたいのはそんなことじゃないはずだ!
・・・・・・・・・・・・・死は虚無などでは決してない。
私も、朋くんが3年生になったとき、
「じいちゃんの将来の夢は何?」って、
聞かれたことがありました。
そして、私は、こう答えました。
「死ぬこと」
私は今、この言葉を撤回しようと思います。
じいちゃんの将来の夢は、
仏さまになることです。
少しでも多くの方に読んでいただきたいので、
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