改正臓器移植法の施行からひと月 | 微塵のごとく

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大震災からブログをお休みしていました。あれから、8ヶ月。ブログを再開しようかなと思いますが、さぁて?!

「改正臓器移植法」の施行から、ひと月が経った。



そして、書面による本人の臓器提供の意志表示がなく


家族の承諾で提供するケースが、


約2週間で、3例相次いだ。


提供者が増えそうな兆しだが、これで本当にいいのだろうか。



脳死状態になった本人は自分で判断できないから、


家族が脳死判定の決断をしなければならない。


そもそも、脳死判定、いや脳死そのものが、臓器移植を


前提にしたものであるから、


臓器移植ネットワークから、コーディネーターがやってきて、


脳死判定の決断を家族に迫る。


そして、臓器移植の説明、提供後のケア、


提供を受ける病院との連絡などを行う。



ある意味で、脳死判定を受けるということは、


必然的に臓器提供ということが前提にある。


その間の、コーディネーターと家族とのやりとり等について、


その中身はまったく外部への情報開示はされない。


いわば、「法律にのっとって」といいながら、肝心な


所は、闇のなかである。


コーディネーターの強い思いに押し切られて、しぶしぶ


承諾する家族がいるかもしれない。



脳死は、一人の人間の「死」である。


家族の一人の「死」を受け入れることである。



ある番組で、数十年前、わが子の臓器移植を承諾した


母が、その後、そのことを後悔しながら、


ずっと過ごしてきたという番組を観たことがある。



肉親の死を受容しながら、一方で、他人の体の


一部として生き続けることを望むというのは、


あまりにも、矛盾しないのか。



ほかの人のいのちとして、生き続けること。



一面的な美名、美徳だけが、一人歩きしているようにしか


私には、感じられない。


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