いのちの尊厳とは | 微塵のごとく

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大震災からブログをお休みしていました。あれから、8ヶ月。ブログを再開しようかなと思いますが、さぁて?!

改正臓器移植法が、今日から施行された。


1年前に成立した法律だが、いろんな準備期間をへて、

今日からの施行となった。


主な改正点は、15歳未満の子どもたちの臓器も、

親の承認があれば、臓器提供ができるということだ。


また、子どもの回復力は大きいので、時間をかけて

脳死判定をするというのだ。


その間、複数の医者が、その子どもにかかわらなければならない。


実際の医療現場に、おおきな穴があくことは必至だ。



で、この改正法の問題点だが、


親が子どもに代わって、臓器提供の選択権をもつということである。


臓器というものは、“いのち”そのものというよりは、

機能する機械という“モノ”である。


その“モノ”を、親が所有するということになる。


親から見ればわが子であっても、子どもには、独りの人間と

しての、尊厳性・自立性を備えている。


それを犯すことにはならないのか。



次に、その脳死状態の子どもが、、虐待されていないかどうかを、

見極める必要があるというのだ。


つまり、虐待され死亡した子どもの臓器は使えないということになる。


そうだとすれば、

一つひとつの尊厳なる“いのち”が、その死に方によって、

優劣がつけられるということになる。


当然、障がいを持っている子どもの臓器も、使用できないと

いうことなのだろう。


人間の“いのち”に、差別化をつけるということ。


それは、絶対にしてはならないことである。


人間が立ち入ってはいけない、尊厳なる世界なのだ。


また、その可否・是非の線引きはどうするのか。


課題は多い。



やはり、人間の力では、どうすることもできない、

立ち入ってはならない限界があることを、

私たち人間は、素直に認めなければならないのではないか。


人間は、人間を創り出すことはできないのだから。


人間の力は、万能ではない。

人間は、創造主ではない。


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