龍一・顕子・美雨が語る 過ぎ去りし坂本家の日々 〜坂本龍一編~ | Kou

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音楽雑感と読書感想を主に、初老の日々に徒然に。
ブログタイトル『氷雨月のスケッチ』は、はっぴいえんどの同名曲から拝借しました。

 3月、坂本龍一が亡くなりました。偉大な音楽家の逝去とあって、音楽界のみならず、各界の著名人からの追悼の声があがりました。

 そのような中にあって、娘である坂本美雨の追悼文はひときわ印象深いものでした。父を亡くしたのですから当然のことなのですが、慟哭といってもいい切々たる心情には、同じく娘をもつ身としてほろりとさせられました。

 また、美雨の母であり、坂本の前妻である矢野顕子も追悼をツイートしました。おそらく故人に対し、誰よりも複雑な思いを抱いている人でしょう。しかしその文面は、「最も親愛なる龍一」「ピアノの連弾がしたい」「とても寂しい」(原文は英文)など、前妻のことばとは思えぬほど哀惜に満ちたものです。

 坂本龍一と矢野顕子は82年に結婚しました。自分はまだ無名であった彼らの、それぞれのファーストアルバムを発売直後に買い求めた、最も初期のファンを自認する者ですが、このカップル成立には驚いたものです。

 はたして坂本家とはいかなる家族であったのか。以下では、結婚していた当時の月刊誌記事や、坂本美雨の著書からの引用により、その「過ぎ去りし日々」を探っていきます。当人たちが公にできる限りの家族像ではありますが、実相の一端を知ることができます。

 月刊誌とは、数年ごとに坂本夫妻の特集が組まれた『月刊カドカワ』で、坂本美雨のは昨年刊行された『ただ、一緒に生きている』です。これらに他の資料も併せ、坂本龍一編・矢野顕子編・坂本美雨編と三部に分け構成しました。引用元に深謝します。

 引用を行った動機は、長年坂本龍一の音楽に親しんできた者として、自分なりの追悼です。しかしこれは、矢野顕子のツイートがあったからこそです。もし彼女が沈黙していれば、アップはできませんでした。かつての夫への親愛の情が最大限に示されたことから、当時の回想が許されると考えました。

 そして、坂本美雨が著書で語るところの父親像も、拙稿を組む動機となりました。距離感を感じさせる父娘関係ながらも、それ以上に父を慕う心情に胸打たれたのです。引用は父に関する記述に限定しましたが、母や兄についての記述もとても興味深いものです。ぜひこの本を手にされることをおすすめします。

 坂本龍一は当然、音楽家として語られる人でした。また、思想・社会的な発言者として注目される人でした。ここでの坂本はそういう存在ではありません。夫あるいは父という、ごく普通の家庭人としての記録です。故人を偲ぶ、ひとつのよすがとしてお読みいただければと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 まずは、坂本龍一の自著からの引用です。坂本は2009年、自伝『音楽は自由にする』を著していて、矢野顕子との結婚について触れています。これがきわめて興味深い。


 矢野顕子さんと結婚したのは、82年の2月です。(YMOの)散開の少し前、YMOとしての活動を休止していたころですね。何年か前から一緒に暮らしていて、80年には娘の美雨も生まれていました。ぼくは学生時代に一度結婚していたし、矢野さんも二度目の結婚だった。矢野誠さんという、すごく才能のあるミュージシャンと結婚していたんです。矢野誠さんのことは、ぼくもとても尊敬していました。とにかくすごくユニークな、かなり変わった人でした。ひとから変わっているといわれるぼくが言うぐらいですから、その程度はわかっていただけるのではないでしょうか。ぼくはどうも、そういう人と暮らしている矢野顕子さんを、自分の力でなんとかしたい、と思ったのでしょうか。救う、というようなことではなかったとしても、矢野顕子という天才が、ぼくなんか手が届かないような特別な才能が、このままではだめになってしまうのではないか、それをぼくがなんとかできるのではないか、と考えたというのか。本当におこがましいんですか、そういう男気みたいなものかあったと思います。これはとにかく、男としても、人間としても、音楽家としても、守らなきゃいけない、本気でそんなふうに思っていました。巨大な才能、自分を超えた力を持ったものに、自分を投げ込むようなところがあったと思います。自分が彼女に対して何かできることがあるし、それによって自分も引っ張り上げられる。それは、けっして簡単な選択ではありませんでした。でもぼくには、何か大変なものを跳び越えることで違うレベルに行くことができる、と信じているところがあるんだと思います。大事な時には、だいたい自分にとって難しい方を選んできたような気がします。

 

 

 

 

 

 

一ファンとして、もっと仕事をしてほしい
坂本龍一
『月刊カドカワ』86年4月号


 もともと職業婦人でしたから、矢野さんは。結婚するきっかけというのが、ちゃんと仕事をさせてあげたいということでしたので、家庭的な面はそんなに重要じゃなかったわけです。アルバムを作ったり、コンサートをしたり、一緒に仕事をする機会も多いので、お互い、スタッフにもライバルにもなります。二人とも真面目ですから、ケンカしたり、意見の対立はしょっちゅうあります。でも、仕事の内容によって、彼女に決定権がある場合、僕にある場合のどちらかですから、家庭内に長くひきずったりすることはありません。

 レコーディングや作曲などで僕がイライラしていても、放任というか、ベタベタ、ケアはしてくれません。テレビドラマのように、奥さんがハラハラして「あなた、どうしたの?」なんて心配してる図も、たまには気持ちよさそうですが、やはり、アホみたい、笑っちゃいます。ですから、僕がイライラしていても、「何バカいってんの!」って冷たいのですが、そちらのほうがよいみたい。彼女がイライラしている場合も、機嫌とるようなことはあまりしません。

 共稼ぎで同業者で一番困ることといえば、遊んだことがバレやすい点です。矢野さんも16ぐらいからバンドに入ったりしていたものですから、ミュージシャンの行状をだいたいこんなもんだと知っている。だからいいともいえるし、都合も悪い。門限は自分で朝の六時半に勝手に決めました。なぜそう決めたかというと、朝、帰ると、子どもが六時半頃起きてて、嫌味をいうわけです。「また、朝……」。出かける時も「きょうは遅いの?」「どのくらい遅いの?」「深夜? 朝?」ってきかれるんです。で、格好悪いから、子どもの起きる前に帰るようにしています。矢野さんは、そんなもの決めた覚えがない、といっています。

 矢野さんは矢野さんで、仕事日を週に三日と決めて、あとはだいたい家にいますので、こちらから連絡する分にはできるわけですし、こちらの居所も完全に把握しています。同業者ですから、どこのスタジオで何時まで、打ち合わせは誰とどこで……と、ごまかしがきかない。知らない人と会っている時は必ずチェックが入ります。チェックはかなり厳しい!信用されてませんから。でも、仮に僕が反対の立場で、矢野さんが四時、五時に帰ってきたら、けっこうゾクゾクしちゃいます。まあ、信用を回復しようなどと、大それたことはできませんので、うるさくいわれるのも仕方ないでしょう。

 矢野さんは、子どもと一緒に起きるので、朝が早い。それで、子どもが寝てからが自分の時間で、レコード聴いたり、作曲したり、手紙書いたり……で一時、二時になってしまう。やたらと睡眠時間が短いので心配でしょうがない。健気です、ほんとうに。家にいる時はなるべく手伝います。皿洗いとか皿拭きとか、病気の時はごく普通に看病しますし、子どもの世話もします。たった一つだけ作れる料理は、山芋のお好み焼きです。家計費は全部握られていて、おこづかいをもらっています。すごく安い!

 夫婦といっても他人ですから、欧米人とかはよくプレゼントしますよね。特別なことじゃなくても僕がアメリカ人やイギリス人の友達からカードもらったりするとすどく嬉しいので、真似するようにしているのですが、夫婦の場合、手紙を書くといっても身近すぎるので、よく、しゃべります。家にいる間、ほんとによくしゃべりますね。その内容も、仕事のことももちろんありますが、政治、経済、宗教、文化……あらゆる分野にわたっています。ですからコミュニケーションはわりと心配してないです。育ってきた環境も違うし、価値観も全然違いますから、よく対立はしますが、面白い。彼女のほうが勉強家なので、いつも負けちゃうのですが。

 結婚してから、よく新聞を読むようになりました。これは矢野さんの影響です。彼女はすごく新聞を読んでいて、切り抜きもマメにしています。僕は赤エンピツ片手に(これは田中角栄の真似なんですけど)パッと印つけて、おもしろい所は切り抜いて、手帳に貼ったりしています。同じ新聞読んでいても、関心を示すものが全然違うし、よく読んでるつもりでも、見落としてる部分があったりで、面白いですね。

 矢野さんが家にいるのは、僕はあんまりいいとは思っていないのですが、子どものことで、仕事日を決めているんだと思います。うるさくいう人がいないと、子どもって、二日もあればたるんでしまう。それを戻すのに1ヵ月ぐらいかかったりする。それで、家にいたほうがいいと思っているみたいです。僕が家にいると、子どもも緊張してるみたいです。

 僕が子どもの時には、両親が共稼ぎで、父は日曜にもいないことが多く、おまけに一人っ子でしたが、全然寂しいと思わなかった。そんなもんだと思っていた。だから、家にいる時間が少ないからといって、ベタベタ遊んであげるようなことはしないです。せがまれれば意地をはることもないですから、遊んでますけれど。

 ヒッピーブーム華やかし頃、コミューンという共同生活の発想がありましたが、僕にもそれが残っていて、親だからどうというのじゃなく、対等な人間同士として、ちやんと信念ぶつけあって、一緒に生活できない者は去っていくし、一緒にやっていくんだったら、意見をぶつけ合ったほうが健康的だと思って、同居者という発想で僕はみています。子どもたちや矢野さんがどう思っているかわかりませんが。

 だから、ヤクザな親で、不幸にしてその子どもがグレだとしても、ヤクザがいやなら自分で生きていく道を開発すればいいわけだから、その環境に甘んじた子どもの器量の問題だと思います。子どもがまだ小さくて、自分で信念持って善悪を決定できない年代までは、親の信念を押しつけていいと思っています。マナーにはうるさいですよ、二人とも。口に物を入れたまましゃべったりしたら、平手打ちです。そういうことは、厳しくされても損にはならないですから。そのかわり、何になりたいとか、まったく放任しています。自分のやりたいことをやってほしい。

 子どもが少しでも信念持って、親の価値観に反発したいのなら、いつでもその権利はあるといってあります。親だし、大人だし、力も強いし、「AはAだ!」って、僕がどなりちらしたとしても、違うと思ったら、「違う!」という権利があるんだから、たとえお父さんに殴られたとしても、いわないほうが悪いから、違うと思ったらいいなさいと、そういう信念で接しています。

 だから、冷たい言い方ですけど、子どもなんて不良になってもかまわないと思っています。僕としては、岡本かの子さんみたいな人が好きなんです。あのお母さんと岡本太郎との家庭なんて、すごいでしよ。矢野さんは子どもに対して、あまりにも責任感が強すぎて、自分のやりたいことを犠牲にしがちなんです。一ファンとして、もったいないと思っています。

 

 

 

 

 

 

『月刊カドカワ』88年3月号
教授と姫のスイートホーム・エッセイ

〜 矢野を嫁にする方法 〜

文と絵 坂本龍一




 もちろん矢野顕子の指なのでピアノが弾けます。裁縫はしません、見たことありません。最近毛玉とりを買ったので、ガシガシと盛んにやっております。しもやけになりがちな指です。冬になると赤くなります。ピアニストのくせに手は小さいのです。僕が外で遊んでいる間にたくさんピアノの練習をするらしいので、とくに結婚してからどんどんうまくなっています、僕より。目が悪いので、ピアノを弾く時は耳と指で弾いています。

視力

 そういうわけで、ピアノを弾く時には視力を使っていないようです。視力はかなり悪くて、小さい時から見えなくなってしまうという恐怖感があり、それもあって見ないでピアノを弾くことを自然にやっていたようです。いまでも視力は落ちつつあるのかな、かなりのド近眼といっていいです。僕はというと視力は1.5とか2.0ぐらいです。視力の悪いほうがアーティスト向きなんです。あまり外界のことが気にならない。視力自体は悪いのに、町の中の変わったお店とか、変わったマーククとか、変わったネコとか、そういうことは僕より早く見つけるのです。だから、そういうのは視力ではなくて、そういう才能があるのじゃないかと思います。

写真

 写真を撮る才能は僕よりもあります。「私は写真を撮る才能があるわね」と、自分でも豪語しておりますが、証拠らしきものは見たことはありません。ただ、尊敬していたおじいさんが絵描きだったし、そういう絵の感覚があるようです。時々、僕やもどき(引用注:もどきは猫の名前)を描くのですが、家じゅうでいちばんうまいのは風太、その次に矢野さんで、僕がいちばんダメなのです。



 もともとネコは嫌いだったようです。いまはかなりネコ好きになっていますけれども、それは僕の影響です。僕は生まれた時からずっとネコとともに育ってきたので、かなりのネコ好きです。とくにいま住んでいる場所は野良ネコが多くて、もともと敷地内に野良ネコが生息していたのを、そこに改造しちゃったわけで、彼らとしては自分の家を奪われたという意識が当初あったようで、ずいぶん反抗的でした、ネコが。いまはモドキがなついていますけれども、矢野さんはネコに名前をつける才能があります。いまのモドキもそうですけれども、本名は坂本アシュラモドキという正式名称で、阿修羅に似ていた。変わった名前をほかのネコにもつけて、ハデスとか、モドキモドキというのがいます。ちなみにネコはブスほどかわいいのです。踏絵みたいなもので、ネコを何種類か見せ、どれをかわいいというかで、その人の人格とか、人間性とか、どこまで人生を真面目に歩んでいるかというのがわかるわけです。

子供

 才能のある女性にありがちな傾向として、自分が子どもを生んで育てるなんていうことは、考えたこともなかったそうですが、風太ができて人生観が一変したそうです。男性は想像することしかできませんけれども、子どもを生んで育てるということは、アーティスティックな行為にもなりえます。育児も含めて家事をやるということに、創造性とか、知性とか、知恵を働かせるのが好き、生き甲斐なんだと思います。今度の矢野さんのお休みもかなりの部分そういう理由だと思います。風太がもうすぐ中学に入るので、いちばん子供として変わりやすい時期、弓矢の矢のように手を放すとどこに飛んでいくかわからないわけです。矢を放してもはずれたところに飛んでいかないようになるまでは手を握っていたい、というのが矢野さんの発想です。ぼくも賛成です。だから、お休みしても僕のためにより時間をつかうということはないと思います。坂本が家に閉じ込めるのだ、という間違った見方もあるかもしれませんけれども。ちなみに、坂本が矢野さんと結婚しようと決意した理由があるのです。以前、結婚していた矢野家において同じような家庭の問題があった時、矢野さんはいまと同じように音楽家をやめて家庭に専念することを迫られたことがあった。相談を受けた時に、僕も若かったですから、絶対に損失だと思い、僕が矢野さんに自由に音楽をやらしてあげないといけないと思ったので、変な決意をしてしまったのです。それが結婚しようと思った理由です。でも、以前も同じようなことがあったということで、育児とか、家庭に対する熱意がよくわかると思います。

シャワー

 矢野さんはかなりの低血圧なので、朝、熱いシャワーを浴びないと正常な人間にならないのです。それ以前というのはかなりすごいものがあります。その影響を受けて僕も朝シャワーを浴びるようになっちゃったのです。毎朝起きると矢野と坂本はシャワーを浴びます。矢野さんはだいたい7時ぐらいに浴びると思いますが、坂本はだいたい10時ぐらいに浴びています。ちなみに子供たちは普通どおり夜に浴びます。一度モドキがあまり汚いのでシャワーで洗ったことがあるのですが、モドキはものすごく水がこわくて、桟にしがみついて離れなかったんですね。それをガッとつかまえてシャワーで洗っていました。



 矢野さんはわりと本が好きじゃないのですね、それは視力のせいもあるかもしれません。それから、文字を読むのが面倒くさい。詩は好きです。詩人でもありますから、自分が歌をつくりたくなるよるよう詩をいつも探しています。一般世間での評価にまったくこだわらずに、独自の歌をつくるという観点でいい詩を見つけてきます。しかし、自分のいままで書いた歌詞とかエッセイを本にする気はまったくないようです。自分はパフォーマーだから活字としては見てほしくない、残したくないと言っています。矢野さんの全詩集を出したいうオファーは本本堂(引用注:坂本がおこした出版社)もしていますが、まったくオーケーは出ません。僕はわりと本をよく買い込んでいたのですけれども、本はほこりをがぶりますから、場所もとりますから、やっかいなものですから、矢野さんの影響をうけてかなり捨てだしました。本もレコードもそうですが、本当にいいものだけを少なくかわいく持っているというのがいい、僕よりはるかにうまい。見倣いたいものだと思っています。



 好きな歌はたくさんあるのですが、難しいな。『ごはんができたよ』も好きですし、『グリーンフィールズ』も『ひとつだけ』も、やはりみんなが好きなものは僕も好きですけれど、『電話線』というのもとってもよかった。こういうことは歌わないときびしく排除しているものが彼女のなかにあって、それが暴力とセックスなのです。この二つは、いまの世の中ではそれをだしておけばインパクトが強いからウケる、テレビでもそうですね。それ抜きには現代の文化は成り立っていないわけですが、この二つを抜きにして詩を書いたり歌を歌ったりするということはだれもやっていないし、とっても難しいことだと思う。あるいはさびしいとか、反抗とか、そういうマイナーな感情を歌にするのはとても簡単なのです、「ブッ飛ばせ」とか「死んでやる」とか、失恋とかね。しかしうれしいことや人を高揚させる歌を歌う、あるいは詩にすることは本当に難しい。不可能に近いようなことで、僕はもちろんできませんけれど
も、ほんとに稀有な、そういうことをやっている人だと思います。



 ご存じのように紙の収集家なわけです。お客さんが絶対目にしない部屋に紙が散乱している、ポサッと積んであるわけです。二階のベッドルームにかなり悲惨な状態でゴン(引用注:原文ママ)とあります。好きな紙の傾向もいろいろで、しかし、悪い紙がやはり好きなようです。とくにインドの安いノートブックとかは紙があまり精製されていなくて、木と紙の中間のような質の悪いものがありますけれども、そういうのを見ますと狂喜します。漉いているおばちゃんたちの、あるいはおにいちゃんたちの手が見えるような汚い紙、そういうのが好きです。

睡眠

 同居者としてとてもびっくりしているのですが、睡眠時間が異常に短いのです。4時間とか、それぐらいなんです。7時ぐらいには起きるわけですから。子どもを寝かして洗いものをして、12時過ぎから自分の好きなことを始めます。ある時はビデオを見たり、ピアノを弾いたり、手紙を書いたり、調べ物をしたり、つい2時、3時になっちゃうのですね。それからあわてて寝るから4時間ぐらい。それをシャワーに入って無理やり起こすというのをもう何年もやっているのですから、不思議なんですよ、あれでもっているというのが。非常に意志が強くて、あんまり強すぎてポキリと折れたりしないかと心配しているわけです。ちなみにぼくは8時間は寝ないと調子が悪いのです。全てを完璧にできると思うのは間違いですから、何かを削っていくしかないと思うのです。それで優先順位を決めて、これもやりたいけれども、いまはこれだけの時間しかないから後回し、ということだと思いますよ、今回のお休みは(引用注:子育てのための矢野の一時活動休止)。

平手打ち

 これはあまり説明できることはないのですが、二度ぐらい平手打ちを食らったことかあります。効き目がありました。成田での時は7年前(引用注:結婚前の81年)だったのですが、いまだにまざまざと覚えています。恐ろしい記憶はなかなか消えません。二回とにかく大きいのがありました。

 欠点といえば、あまり完璧すぎてこちらが太刀打ちできないという、これが欠点です。いつも僕としては蹴落とされないように後からついていくという感じ。ちょうどメスのライオンのように強い。育児から家事まで全てやるわけでしょう。ライオンの一家が移動しなければならない時には、きっとメスが先頭をきっていくわけでしょう。ずっと昼寝をしていたオスライオンは、「おい、おい、待ってくれ」と後からくっついていくのでしょう。

 

 

 

龍一・顕子・美雨が語る
坂本家の過ぎ去りし日々
~坂本龍一編~






~矢野顕子編~
へ続く