「いかに自分が良いと思う、正しいと思うもの(真善美)をカタチにしていくか(拡げていくか)」 ぜひこれを考えていきたいです。

その意識があると、自分がブレなくなり、”真っ直ぐ”に道を歩め、とてもうまくいきやすいかなと思います。


「自分が良いと思う、正しいと思うことをやる。それを拡げていく。

 そして、その中で人に喜ばれる。お金も稼いでいく」

ぜひこのことを覚えておいてもらいたいなあ、って思います。


仕事はシンプルにそれだと僕は思います。ぜひその中で、あなたに立ち回っていただきたいのです。その考えの中で動いていただきたいのです。その中で人に喜ばれたり、お金も稼ぎたい人は稼いでいただきたいのです。


言われてみれば当たり前に思うかもしれませんが、多くの方はできていなかったりします。何がメインとなっているかと言えば、「損得や打算」等です。

損得や打算等の思考から人は動いていたりします。

それはたとえば「私、仕事うまくいきたいぜ」「私、成功したいぜ」「私、自由を手に入れたいぜ」等の思いから動く等です。


僕はそれらについて悪くはないと思うし、否定する気持ちもありません。人間だもの。そういう思いを持って当然だと思います。

ただその思考だけではうまくいきづらいと、僕は感じます。

理由はそこに自分の価値観がないからです。

価値観とは主に「真善美」だと僕は思います。

真善美とは「何が自分は真実だと思うのか」「何が自分が善だと思うのか」や「何が自分が素晴らしいや美しいと感じるのか」等のそういったものです。

それを世の中に拡げたくて、仕事を行うのだと僕は思います。

その中で人に喜ばれたりする。お金も稼ぐのだと思います。


そして、「自分が拡げたいものが、人が幸せになるものなのか、みんなが幸せになるものなのか」

「社会を良くするものなのか」

もっと言えば「平和」に繋がっているのかどうか。

そういったことを考えて、自分がGOサインを出せてから、仕事を進めていきたいです。


これまでの世の中(日本)では、そうはなっていなかったと思います。

「損得や打算」等がメインであり、「真善美はない」と言っても言い過ぎじゃないかもしれません。


(「自分が良いと思う、正しいと思うことをやる。それを拡げていく。

 そして、その中で人に喜ばれる。お金も稼いでいく」

ということをお伝えさせていただきましたが、その中の自分が良いや正しいと思うことは、自分の真善美(価値観)だと思っていただいて構いません。)


多くの方は、価値観を大事に思う心は強くあったりするのですが、同時にそのものから考えて動かない側面がとても強いような気がします。

考えるもとは損得や打算等であったりするのです。

それは自分の中で「チグハグさ」を生み出すかもしれません。
(それは「違和感」や「迷い」「混乱」「物足りなさ」等といった症状を自分の中に生み出す要因となったりします。)


自分の個性を殺したいならば、損得や打算等から考えて動けばいいのです。(僕は強くお勧めしませんが)

でも自分の個性を活かしていきたいなら、自分の真善美(価値観)によって動かないといけないと僕は感じます。


自分の価値観を大事にしたいのに、自分が殺していたり、自分の個性を活かしたいのに、自分が殺していたりする場合があります。

それでそのものによってうまくいかないことが、1番人をみていて、多いような気がします。


ぜひ自分の価値観(真善美)を大切にしていただけたらなと思います。


「自分が良いと思う、正しいと思うことをやる。

 それを拡げていく。カタチにしていく」

ぜひそのことの中で考えて動いていただけたらなと思います。


その中で、お金を稼ぎたい人は稼ぎ、人に喜ばれてもらいたいです。


僕自身の体験ですが、20歳の5月まで「損得や打算の世界」で生きていました。でも20歳の5月、そこから抜け出したのです。そして、「価値観(真善美)の世界」へとシフトしました。(現在は42歳です。)


するといろんなものが変わりました。


「価値観(真善美)の世界」へとシフトした僕がまず決めたことが、「いい人になろう」や「人に親切にしよう」等です。

これは僕にとっての真善美です。

「真実」だと思う、「善」だと思う、「美しい」と僕が思ったものです。


それで仕事で言えば、20歳の僕は、トンカツとオムライスで時給800円で働くフリーターだったのですが、そこでいろんなことにチャレンジをしました。

それがきっかけ(縁)で、「不動産業で一緒にやらないか」と声をかけられ、不動産屋にいつのまにか就職することになりました。


それで僕はその1年後の21歳には、不動産屋で年収一千万円以上となりました。


「自分で言うのもなんですが、そんなふうに不動産屋でそうなるなんて僕にとってはかなりの奇跡です」


21歳で年収一千万円以上なんて、すごい人に比べたら全然かもしれませんが、「この僕がというのが奇跡なのです」(雇われにしては、いい金額だとは思います。)

だってかなりの落ちこぼれですから。そうじゃないなら、高校も辞めていないです。(中卒です)


落ちこぼれでしたが、「価値観(真善美)の世界」へとシフトした僕は、落ちこぼれがなおったというか、どう言えばいいのでしょうか?


「自分の個性を輝かして生きれるようになった」

そういう言い方がきっと適切でしょうね。


「損得や打算の世界」で生きていた時は、「自分の個性が死んでいた」のです。その結果、落ちこぼれみたいな結果となっていたのです。


「価値観(真善美)の世界」へとシフトした僕は、「自分の個性が輝き出し」うまくいくようになったのです。



それで、不動産屋に勤めた時に僕は何をやり始めたのかを参考にお伝えさせていただきますと、決めたのは主に2つでした。

1つめは「お金と健康と仲間を与えられる不動産屋になる!」です。

2つめは、「お客様がマンションを出られる時、(主に賃貸です)走馬灯のようにその街での素敵な思い出が蘇り、「この街にきてよかった」と涙ながらに去っていく。そんなお客様をつくり出すのが僕の仕事だ」と思ったのです。



「この街にきてよかった」と思ってもらえることが僕の仕事だと思ったのです。そのゴールからの逆算で、僕は仕事をしていました。

考えるのはそれだけです。

考えるのはこれだけですが、そのためにやることは無限にあとは出していけます。

「何をすればそれが生み出せるのだろう」と考えてあとは動いていくだけでした。



いろんなことをやりましたが、全部起点はそこからです。

他の不動産屋とは、全く違う世界で仕事をしていたと言ってもいいでしょう。



僕は「損得や打算の世界」から、「価値観(真善美)の世界」へとシフトされることをご提案をしたいです。

損得や打算の世界の中で、色々考えて動いても、うまくいかない場合があります。そもそもが「その世界にいることが失敗」ということがあるのです。

損得や打算の世界の中にいることが、もはや「負け戦確定」と言ってもいいぐらいの状況もあるのです。

その中では、うまくいかない人がいるのです。

損得や打算の世界の中で、色々考えて動くより、「まずはその世界から抜け出せ」なのです。


「本当の旅の発見は新しい風景をみることではなく、新しい目をもつことにある。 」

                マルセル・プルースト


です。



「損得や打算の世界」から、「価値観(真善美)の世界」へとシフトは、「新しい目を持つ」とも言っていいでしょう。

新しい目を持ち、そこから物事を考えて動きたいのです。

いかがでしょうか?



人はあまり自分の真善美の世界に生きていないと僕は思うのです。「いかに私がうまくいくか」や「いかに私が自由になれるか」や「私が成功できるか」や「いかに私があの憧れのあの人のようにやれるか」等、そういう思いの中で考えて動かれていたりする方が多いような気がします。

10人いたら9人は、そんな感じかなと思います。希望を持って8人にしておきます。


別に悪くはないし、否定はないんですよ。こういうのは全部「生存本能」ですから。本能ですから、仕方がないんですけどね。ただ生存本能というのは、基本自分のことしか考えていませんから。

その中で動いていると、失敗はとてもしやすいです。1番の理由は「他者がみえていないからです」

他者がみえていないと、「他者のことを考えられないです」

考えれないから、「何をしていいのかがわからないのです」

他者のことが「みえる」

「みえる」からこそ、考えることができます。考えることができるから、そこからどうすればいいのか等を考えて動いていくことができるのです。そもそも「みえない」って状態があるのです。


それで「みえない」から、人はすぐに人に聞いたりしてしまうのです。別に聞くのは悪いわけじゃないですが、問題なのは「みえないこと」です。「みえない」方が、いくら人に聞いてやっていったとしても、それはとてもやりづらいし、うまくいかないのかなと思います。

他者のことが「みえる」

「みえる」からこそ、考えて動いていくことができるのです。それで動いてうまくいかない時等に、人に聞いたりするのはいいと思います。

「みえない」ってとても苦しいんじゃないのかな、って思います。


「損得や打算の世界」とは、たとえば僕の親は小さい頃、ばあちゃんもそうですが、「公務員はいいわよ」って僕に公務員等を勧めてきました。理由は「食いっぱぐれがないから」だそうです。「安心、安定」だと叫んでいたような気がします。


僕の家族以外に、他の友達の親もみていたら、同じような発想でした。どの家庭も似たり寄ったりでした。結構、標準的な発想だったのかなと思います。

こういうものが「損得や打算の世界」です。

きつく言えば、こういうのって、実は「非常識」であり、とてもおかしい世界だとも言えるかもしれません。冷静に考えたらほとんどの方はそう思うと思います。


たとえば、「食いっぱぐれがないから公務員って、普通に人(国民)に失礼だと思いませんか?それ、誰かが汗水たらして働いた人のお金(税金)ですよ。」

こういう基準で子供に何かを言っているのに、政治家や国に対して「あー、国が悪い。政治家が悪い」って文句を言う人もいます。「何を考えているんだ!」と。

でもそういう人って、「食いっぱぐれがないから」や、そういうので育った人なのではないでしょうか?


公務員をやって欲しいならば、「あなた国や人々の為に一生懸命働きなさい。それには公務員がいいと思うわよ。大変だけど、とてもやりがいがあるわ」ぐらい言えばいいと思います。

「税金がお給料だから、命がけで働かないといけなくて、とても大変な仕事で、たくさんの苦労もあるかもしれないけれど、とてもやりがいがあるわ」ぐらい言えばいいと思います。

そんな言葉は聞いたことがないです。


もう1つお伝えしますと、大学生が就職先を選ぶ時に、「給料や条件、会社の将来性や休みがいくつあるか」等で選ぶ人が多かったような気がします。

今は知りませんが、昔はそんな人ばかりをみかけました。

これも「損得や打算の世界」です。

僕は自分の価値観と会社の価値観が似ているかどうか、同じかどうかで判断したりします。価値観が違うと「同じ方向を向いて歩んでいけないから」です。

価値観が同じかどうかと、実際、会社が言っていることとやっていることが一致しているかどうかをみます。「口先だけの人がいるように、口先だけの会社ってあるじゃないですか」

会社が良いと思うこと、正しいと思うこと、それをよりカタチにする、拡げる為に、社員を募集したりすると思うのです。

だからそこに対して、「協力したい」「共に歩みたい」と思って、入社すると思うのです。・・本来は。

それを「給料や条件、会社の将来性や休みがいくつあるか」で選ぶや「食いっぱぐれないから」と公務員を勧める親等、今は知りませんが、こういうのが昔の世の中の標準ではなかったでしょうか?


多くの方がやっているから違和感がないかもしれませんが、冷静にみたら、非常識であったり、おかしかったりしませんか?

おかしいという言い方が適切じゃないなら、「民度が低い」はいかがでしょうか?

その民度に合わせていたら、自分の人生を崩壊させてしまうこともあるかもしれません。

それでそういうので生きているから、生き方に迷う方もおられると思うのです。

「損得や打算の世界」の中で生き、その中で満足できる自分ならいいのです。

でもそうじゃないのに、それをやっていたら、苦しむ確率が高くなると思います。


たとえば「給料や、条件、会社の将来性や休みがいくつあるか」で選ぶ等って、それはそれ以外のものを捨てるってことです。でも捨てるものの中に、自分が求めるものがあったりします。

それに「損得や打算の世界」でいると、今、大変かもしれません。

まだ高度経済成長の時ぐらいならいいと思うのです。

でも今の時代は苦しいのかなと思います。


「公務員いいわよ」って、親が言っているや、学生が就職活動する時、「給料や条件、会社の将来性や休みがいくつあるか」で選んでいる等、こういうほとんどの方がわかるあろうことを、代表的に例として2つお伝えさせていただきました。

当然これだけじゃなくて、あらゆるところにあります。「損得や打算の世界とは一体どういうものか」というセンスをつかんで欲しかったのです。

それでその中で生きることが苦しい方もたくさんいると思います。

たとえば、価値観等を大事にしたい方が、みんながやっているからって、「給料や、条件、会社の将来性や休みがいくつあるか」等で会社を選んでいたらどうなると思いますか?チグハグです。

「価値観等を大事にしたいなら、価値観等で選んだ方がよくないでしょうか?」

今は知りませんが、小さい頃テレビをみていたら、芸能人が離婚して、その離婚の理由がよく「価値観の違いで・・・」と言っていました。

離婚の原因になるぐらい、価値観は大事であったりするのです。

「じゃあはじめから大事にしたら?」って思いませんか?

「損得や打算の世界」は、別の言い方をすれば「生存世界」です。人の持つ生存本能からのものです。それで、生存本能の目的はたった1つです。

「私がこの世をうまく生き延びる」です。


「公務員いいわよ」って、親が言う理由は、それが「この世をうまく生き延びられるから」です。

「給料や、条件、会社の将来性や休みがいくつあるか等」で選ぶのも「この世をうまく生き延びられるから」です。


「この世をうまく生き延びる為」に実は全部集約することができます。


ただ「この世をうまく生き延びる」=幸せ、とはならないから、「この世をうまく生き延びる為」に頑張って、手に入れても、満たされない方もいるのです。

それで状態が悩みや苦しみとなって、その原因がわからず、それを解決する旅に出かける方もいます。その旅がいつ終わるのかは知りませんが・・

実はそんなことしなくていいのです。ただ「生存本能から動いていた」ってだけです。

ただそれとイコール、幸せとならないことがあるから、その現状があるってだけなのです。


「民度が低い」ということをお伝えさせていただきましたが、この「民度を上げたい」です。

低いまま動くよりも、「上げて動きたい」です。

それで日本人はもともと「民度が高い」と思います。だから「取り戻すだけ」です。「思い出すだけ」です。


たとえば「自信を持とう」とか、自信という言葉をよく人が使っていたりするのですが、自信は別にいらないです。それよりもあった方がいいと思うのが「誇り」です。

「誇り」の中に、自信は存在します。

誇りを持っておけば、その中に自信があり、なおかつ自信は時にすぐに失い、心が折れてしまうことがあるのですが、誇りを持っていたら、あまり心が折れないです。

自分に誇りを持っていたら、人から「あの人メンタルが強い」と言われることもあったりします。

メンタルが強いのではなくて、「誇りがあるだけ」なのです。


誇りって素晴らしいものなのに、「誇りを持て」とか、あまり言葉が使われないです。多分その理由は「誇りを持っている人が少ないから」でしょう。

自信よりも、「誇り」です。


それから「好きなことややりたいこと」等よく言われますが、それよりも僕は「やりがいを持つ」がいいと思います。

「好きなことをやりたいこと」って、なんか楽(ラク)なイメージがしませんか?

やりがいって、「何かとても大変そうだけど、その中で面白い、楽しいものがある」というイメージがしませんか?

やりがいの中に「好きなことややりたいこと」も含まれているのです。

やりがいって、現実的な要素を含んでいたり、自分の覚悟等も含まれていたりするのです。

「好きなことややりたいこと」って、現実的な要素を含んでいなかったりする場合があるのです。

何か楽(ラク)そうに思ったりするから、そういうのを求めている方って、仕事が続かなかったりするのです。あとすぐに心が折れたりします。ポンコツになるというか、めんどくさい人になるのです。それは性格や能力の問題ではなくて、「好きなことややりたいことをやろうとしているからです。」


やりがいを求める方に、そういう要素はなかったりするのです。

やりがいを求める方ってほとんどいませんが、そういう方ってあらかじめ苦労や苦難、いろんなものを引き受けている(受け入れている)でしょ?

引き受けて「チャレンジしよう」という気概があるのです。

でも「好きなことややりたいこと」を求める人には、その要素はほとんどなかったりするのです。

やりがいが大人、好きなことややりたいことは子供と言ってもいいかもしれません。


「やりがい」って大変なことを乗り越えさせてくれるのです。

物事がとても続きやすいのです。


「好きなことややりたいこと」より「やりがい」

「自信」ではなくて「誇り」

それから、「夢」ではなくて「志」とかね。


夢は個人の願望であったりするのですが、志って、自分も含んだみんなの幸せの為に動くものであったりします。

「やりがい」「誇り」「志」等は、昔、日本にあったものだと思います。(今もありますけどね)

そもそも「夢」という言葉なんて昔日本にないですから。
(戦後から使われるようになりました。)


「志」となります。「志」の中に夢の要素はあるし、「やりがい」の中に「好きなことややりたいこと」の要素はあるし、「誇り」の中に自信という要素があります。


「夢」や「自信」や「好きなことややりたいこと」よりも「志」や「やりがい」や「誇り」を求めて、手に入れた方が僕はいいと思います。


「志」を持っている人は強いですよ。「やりがい」を感じて取り組んでいる人は強いですよ。「誇り」を持って取り組んでいる人は強いですよ。

メンタルが強いや弱いとかよく言われたりするのですが、かなりそれは僕はぼやけた言い方だと思います。

「志」や「やりがい」や「誇り」等がないから弱いだけってあるのです。

持てば誰でも強くなるってあるのです。

強くなるという言い方が適切じゃないかもしれませんが。たとえば、誇りを持って仕事をしていれば、「人から何か言われても気にしない。気にならない」ってあるのです。

誇りを持って仕事をしていない状態だと、「人から何か言われたら気にしてしまう」ってあるのです。

気にしてしまう状況で「うおおお」ってパワフルでいられるならそれはメンタルが強いと言ってもいいのかもしれませんが、そもそもそんなに気にならないものって、メンタルが強い必要があるのでしょうか?

「メンタルが強くみえる」ってことはあるでしょうが、メンタルが強いってわけではなくて「そもそも気にならない」

だからメンタルって関係がないんですよね。


「自信」を「誇り」に。

「好きややりたいこと」を「やりがい」に。

「夢」を「志」に。

といったように、「真善美の世界」の中に「損得や打算はあります」


自分が良いと思うこと、正しいことをやりながら、別にお金も稼いでいけばいいわけです。


「自信」を「誇り」に。

「好きややりたいこと」を「やりがい」に。

「夢」を「志」に。

「損得や打算」を「真善美」に。

それぞれ昇華させていくことができるのです。

僕はそれを「昇華」だと思っています。

(昇華の意味は、ある状態から、更に高度な状態へと飛躍することだと辞書に書かれてありました。)


昇華というのは、将棋のたとえですが、「歩」が成ると「と(金)」になるのです。

歩は前にしか進みませんが、「と(金)」になると、前にも横にも斜めにも進めるのです。

「と(金)」には、歩の要素もあるのですが、それ以外もあるのです。

将棋のたとえが1番わかりやすいのですが、将棋を知らない人にはかなり微妙ですよね?


「自信」がパワーアップすると、「誇り」に。

「好きややりたいこと」がパワーアップすると、「やりがい」に。

「夢」がパワーアップすると、「志」に。

「損得や打算」がパワーアップすると、「真善美」に。

そんなふうになるというイメージでしょうか?


それでパワーアップした方を持った方がいいというご提案をしたいです。

そもそもが「自信」「好きややりたいこと」「夢」「損得や打算」そんな世界に生きていたら、自分がしんどいってことがあると思うのです。

「誇り」「やりがい」「志」「真善美」こういった世界にシフトすれば、自分がとてもパワーアップして、とても自分の人生をつくっていきやすいと思います。

僕みたいなポンコツでも「甦る」のです。

まったく別の人間に生まれ変わるぐらいのパワーがそこにはあります。

実際、僕は自分でそんな体感がありました。

「なんだこの溢れんばかりのパワー」というのを自分で体感したのです。


「誇り」があれば、自信だけではなくて、人生の楽しさやパワーも与えてくれるし、人が何か言ってもあんまり気にしないし、自分の進む道を軽やかにしてくれます。

「やりがい」は、いろんな苦難、嫌な出来事等を乗り越えさせてくれる力となります。

「志」は、人から協力や応援をもらいやすいです。夢だと個人の願望が多いですから、「勝手に頑張れよ」みたいな感じで人から接されやすいですが、志は共に人が歩みやすいのです。夢は自分1人で歩みながら、もちろん協力や応援をもらえることがありますが、「共に歩めない」です。なんていうか言い方は適切じゃないかもしれませんが、ホスト、ホステスと客との関係みたいなね。

野球のファンもそうですが、貧乏人が金持ちを応援するみたいな、結局、儲かっているのは野球選手や胴元でしょ?

悪く言えば、ただの「搾取」です。悪く言えばですよ! 

「志」の方が、健全というか、あとは何よりみんなが平等に幸せになったりします。

それから「志」はゴールがないです。大体大きいですから。

だから夢は叶えたら、燃え尽きることがありますが、志にはそれはありません。

「夢」はなんていうか言葉は耳心地いいかもしれませんが、中に入っていけば結構ドロドロしている要素があったりする場合があるのです。

まさに「夢」

「志」は、結構爽やかです。

それに人が参加しやすいのは、「志」の方だと思います。

仕事は「真善美」の方がいいと思います。

「損得や打算」は「いかに儲かるか」や「楽ができるか」やそういうのなのです。その世界は、客が幸せにならないことも多いです。むしろ不幸になることも多いです。


あとは、「損得や打算」で動いていたら、集まる人も同じような人ですから、それでいいという人はそれでいいのかもしれないですが、「真善美」の方が、いい感じの人が集まると思います。

楽しさや、人間関係等を求めるならば「真善美」の方がいいと思います。

稼ぐという観点からもそっちの方がいいことも多いです。

「稼ぐ」だけや、特に短期的に稼ぐ等なら、損得や打算の世界の方がよかったりする場合もありますけどね。

繁盛するだけならば「損得や打算の世界」

だけど繁栄させたいならば「真善美の世界」でしょうね。


「真善美」の世界にも「損得や打算」の要素はあるのですが、メインが「真善美」ですね。

「損得や打算の世界」にも「真善美」の要素はあるのですが、料理で例えるならメインディッシュがどれかですね。


僕のメインディッシュは、「真善美」であり、前菜やデザートぐらいの位置に「損得や打算」もあるようなイメージです。

「損得や打算の世界」にいる人は、メインディッシュが、「損得や打算」のはずです。

それで前菜やデザートぐらいの位置にちょっと「真善美」があるような感じになっていたりします。


「誇り」「やりがい」「志」「真善美」

こういったものを持っていた方が、自分の人生をつくっていきやすいと思います。


逆に「自信」「好きややりたいこと」「夢」「損得や打算」

そんな世界に生きていたら、自分の人生をつくっていきづらいかもしれません。



はじめに自分が「正しいと思うもの」「良いと思ったもの」ありき、です。

はじめに損得や打算等の思考ありきじゃないです。

本来は、「正しいもの」「良いと思ったもの」に進むだけです。

そして、その中にビジネスもあります。

結局、いろんなものに手をつけてはものにならない方は、最後邪魔しているのは、自分の「直感」や「価値観」等であったりもするのです。

そこからの「違和感」や「合わない」や「向いていない」等と感じるものであったりもします。

自分の「直感」や「価値観」等を自分の奥底に潜らせて動いているから、実はそんな目に遭ったりするのです。「盲目的である」という状態であったと思います。


先に、自分の「直感」や「価値観」等、ありきです。そこを伸ばしていく。育てていかないといけないのです。それが「自分の個性を伸ばす」です。

それで、その中に実は「自分の好きなことをやる」や「自由に生きる」や「自分らしく生きる」等があると思います。

何が正しくて、何が間違いであるか、
何が良くて何が悪いか等が直感的にわからない人が、
「自分の好きなことをやる」
「自由に生きる」「自分らしく生きる」
等を思い、生きていたらどうなると思いますか?


何が正しくて、何が間違いであるか、
何が良くて何が悪いか等が直感的にわかって、歩めた上での
「自分の好きなことをやる」
「自由に生きる」「自分らしく生きる」
等ではないでしょうか?

そうしたい場合は、です。

まずは何が正しくて、何が間違いであるか、何が良くて何が悪いか等が直感的にわかり、歩められることが重要です。

それができた人が、本当に次にいけると思うのです。

何が正しいのか間違いなのか、良いのか悪いのかが直感的にわかることが、

・本来の自分
・自分を取り戻す
・ありのままの自分で生きる
・本当の自分

等といった類のものだと思ってくれて構いません。

「すべてそこに凝縮されていると思ってくれていいと思います」


「自分が良いと思う、正しいと思うこと」それは自分の価値観であり、その価値観のもとは主にインスピレーション(直感)だと思います。

まずは「何が正しくて、何が間違いであるのか、何が良くて何が悪いか等が直感的にわかること」って大事だと思います。

直感は主に良心等と呼ばれるものだと思います。


「なんか罪悪感を感じる」等そういう時ってないでしょうか?

そういう時は、「何が正しいのか間違いなのか、良いのか悪いのかが直感的にわかる自分」がいて、そこからの「なんか罪悪感を感じる」です。ほとんどは。

自分の良心であり、価値観である場合もあるでしょう。

それで意外と人は「なんか罪悪感を感じる」等と思っても、こっちの思う感覚をスルーしてしまう場合があります。

「なんか罪悪感を感じる」等と思うものを、自分が都合が悪く感じるのです。

主に損得や打算等によってスルーされてしまうと思うのです。

自分の直感や価値観等が、主に損得や打算等によって破壊されてしまう場合があるのです。無くなっていく場合があります。

こうなると「なんの為に私は生きているんだろう?」等と思う人も現れるかもしれませんね。自分の良心や価値観等に沿って生きていると、「それはない」ですから。

ただ「生きているだけ」に思うかもしれません。それはだって「なんか罪悪感を感じる」等と思っても、こっちの思う感覚をスルーしてしまう場合がある。主に損得や打算等によってスルーされてしまう。その多くは「生活の為」や「私がこの世をうまく生き延びる為」や、つまり「私が生きる」ことを目的に動いたからです。


だから「その目的は叶っている」と思います。

生きるというその人の思いは叶っていたりします。

ただそれが自分が望んだ人生かっていうのはまた別ってだけです。


まずは「何が正しくて、何が間違いであるのか、何が良くて何が悪いか等が直感的にわかること」って大事で、それが自分の方向性のもとになると思います。

だけどそれがいつのまにか「損か得か」「儲かるかどうか」や「いかに自分成功できるか」「うまくいくか」等、損得や打算等の思考が自分の価値基準、判断になったりしていれば、それが酷いと無くなってしまう場合もあると思います。

こうなると「自分を見失っている」という状態になるんじゃないかなって思います。


損得や打算等の思考から始まるのじゃなくて、単純に自分が「正しいと思うもの」「良いと思ったもの」に進むだけなのです。

そして、その中でお金を稼ぎたいなら稼げばいいのです。


「あなたの真善美(価値観)とは一体なんでしょうか?」

あなたが真実だと思うことや、善だと感じることや、美しいと感じるもの等です。 

ぜひそれを考えていってもらいたいです。



話が長くなってしまいましたが、とても大切なことですから精一杯お伝えさせていただきました。


ここでお伝えしましたことが「あなたの仕事(人生)の突破口」へとつながればとても嬉しいです。

                         kenji