紫式部って本当はどんな人?④[戸を叩く男] | 跡部蛮の「おもしろ歴史学」

跡部蛮の「おもしろ歴史学」

歴史ファンの皆さんとともに歴史ミステリーにチャレンジし、その謎を解き明かすページです(無断転載禁止)

 藤原道長の娘の彰子に女房として仕えたのが紫式部でした。

 

 式部が彰子の女房になった当時、一条天皇の皇后定子(道長の兄道隆の娘)の女房の中には、『枕草子』の作者で才女の清少納言がいました。

 

 このため、天皇と娘の彰子の間にどうしても皇子をもうけたい道長が、定子に負けないような文化サロンを作ろうと、妻倫子と又従姉妹の関係であり、『源氏物語』で有名になりつつあった式部に白羽の矢を立てたと考えられます。

 

 そもそも彼女が『紫式部日記』を書き始めたのは、寛弘5年(1008)、彰子が道長にとって念願の天皇の子(のちの後一条天皇)を宿し、その皇子出産のために土御門邸へ里帰りした時でした。

 

 当然、日記では道長に温かまなざしを向けています。

 

 そうして、翌年のある夜、事件は起きました。

 

 式部の部屋の戸を誰かが叩き、彼女がじっと身を潜めていると、翌朝、歌が贈られてきたので歌を返したというのです。

 

 情を交わした男女がこうした歌のやりとりをするのは常識だった時代で、この戸を叩いた男が道長であったのは他の史料で確認できます。

(つづく)

[最新刊のお知らせ]

『超新説で読みとく信長・秀吉・家康の真実』

♯塗り替えられた戦国史の謎に迫ります!

 

※「辻大悟ノベルズ」からのお知らせ

別名のペンネーム(辻大悟)で書いた小説『キンカコ 八人のワンダラー』(kindle版)をリニューアルしました。

♯現在から見たキンカコ(近過去)の2000年が舞台。貸し渋りが横行する時代に、銀行へ不渡り手形を掴ませるチンケな詐欺を働いていた美人詐欺師と彼女を追う現職の刑事。その二人に大蔵官僚や病院の名物院長らを加えたワンダラーたち。その八名が国際犯罪組織の野望を打ち砕く痛快犯罪ミステリー小説。20年後、30年後の近未来に生きている自分たちのために、いま戦え!