『竹取物語』の作者はかの菅原道真か?④[母の実家] | 跡部蛮の「おもしろ歴史学」

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 道真の讃岐守時代に、こんなことがあったといいます。

 

 彼が夜道を歩いていると、叢林の中に光るものがありました。

 

 近づいてみると、そこに「神童」がいて、「われは熊野権現。なんじが来るのをずっと待っていた。われを得れば国家大安となろう」と言ったので、そこに祠を祀ったというのです。

 

 『竹取物語』の冒頭、竹取の翁は、幹の光る竹を見つけ、近寄ると、光る筒に三寸ほどの小さな姫(かぐや姫)が入っていたとしています。

 

 そのシーンとの共通性は見逃しがたい話です。

 

 さらに登場する5人の貴公子からも道真との関連が窺えます。

 

 5人のうち、阿部、大伴、石上の三人は、都が藤原京(奈良県橿原市)にあった時代の実在の人物の名を借りていますが、そのうちの大伴氏は道真にとって母の実家にあたります。

 

 その大伴御行が「竜の首の珠」を求めて航海に出て遭難し、命からがら戻ってくる話は、道真と同族の菅原梶成が承和5年(838)、遣唐船で遭難し、南海の島に漂着した事実をモチーフにしたともいえます。

 

 さらに――。

(つづく)

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