朝鮮出兵で秀吉軍は本当に海戦でやぶれたか?②[朝鮮水軍の新兵器] | 跡部蛮の「おもしろ歴史学」

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 日本軍の補給が途絶えた一因は、制海権を朝鮮水軍に握られ、日本からの補給がうまくいかなくなったことにあります。

 

 開戦当時、朝鮮半島南西部の全羅南道水軍左水師(全羅南道=チョルラナムド=の水軍司令官)の地位にあった李舜臣は、逃亡した慶尚道水軍の司令官の一人、元均(ウォンギョン)からの援軍要請を受けていました。

 

 李舜臣は自身の持ち場(全羅道)を離れ、越境することにためらいはあったものの、未曾有の国難を前に決断します。

 

 彼は全羅道の水軍を率い、日本側が寄港する釜山を目指したのです。

 

 以降、慶尚道沿岸を中心に大きな海戦が10回行われますが、李舜臣率いる水軍がほぼ勝利しました。

 

 こうして朝鮮水軍が海域の制海権を握ったのです。

 

 彼の勝因はどこにあったのでしょうか。

 

 それは、日朝両水軍の戦術と船の構造の違いにありました。

 

 まず日本側の戦い方は、船を敵船に漕ぎ寄せて乗り移る白兵戦が主流でした。これに対して、李舜臣は敵船との距離を保ちつつ、弓矢や火砲による攻撃を行ったのです。

 

 しかも、朝鮮水軍には亀甲船(きっこうせん)と呼ばれる秘密兵器がありました。

(つづく)

 

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