日本軍の補給が途絶えた一因は、制海権を朝鮮水軍に握られ、日本からの補給がうまくいかなくなったことにあります。
開戦当時、朝鮮半島南西部の全羅南道水軍左水師(全羅南道=チョルラナムド=の水軍司令官)の地位にあった李舜臣は、逃亡した慶尚道水軍の司令官の一人、元均(ウォンギョン)からの援軍要請を受けていました。
李舜臣は自身の持ち場(全羅道)を離れ、越境することにためらいはあったものの、未曾有の国難を前に決断します。
彼は全羅道の水軍を率い、日本側が寄港する釜山を目指したのです。
以降、慶尚道沿岸を中心に大きな海戦が10回行われますが、李舜臣率いる水軍がほぼ勝利しました。
こうして朝鮮水軍が海域の制海権を握ったのです。
彼の勝因はどこにあったのでしょうか。
それは、日朝両水軍の戦術と船の構造の違いにありました。
まず日本側の戦い方は、船を敵船に漕ぎ寄せて乗り移る白兵戦が主流でした。これに対して、李舜臣は敵船との距離を保ちつつ、弓矢や火砲による攻撃を行ったのです。
しかも、朝鮮水軍には亀甲船(きっこうせん)と呼ばれる秘密兵器がありました。
(つづく)
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