これまで比叡山延暦寺で実施されてきた考古学調査の調査員のひとり、兼康保明氏が発表した論文(「織田信長比叡山焼打ちの考古学的再検討」/『滋賀考古学論叢』第一集)によりますと、根本中堂と講堂を除き、調査で確認され焼土層は信長の時代のものと特定できず、それより前の平安時代から南北朝時代のものか、あるいは江戸時代のものだとみられることが判明したのです。
つまり、織田勢の放火によって焼き落ちたと確実にいえるのは根本中堂と講堂だけということになります。
そうなりますと、『信長公記』が全山ことごとく焼き払ったという記述と明らかに矛盾するのです。
『信長公記』の史料価値は高いとされているだけに、とても嘘偽りを書いていると思えません。
(つづく)
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