瀬田の唐橋を落とされた光秀はすぐさま橋の補修を命じました。
しかし、そこで三日もロスしてしまいます。
いったん居城の坂本城(大津市)へ戻っていた光秀が安土に入城できたのは六月五日になってからです。
翌六日、羽柴秀吉は陣払いをおこない、「中国大返し」をはじめます。
畿内周辺の諸将にしたら、光秀がグズグズしている印象だったでしょう。
結果、このロスがのちのち大きく響いて光秀は後手後手にまわってしまいます。
加勢を期待していた丹後の細川忠興(娘婿)ですら、安土城に入ることすらできない舅を「ポスト信長」と認めず、光秀は孤立無念となります。
したがって筆者は『明智光秀は二人いた!』(双葉社刊)にて、
「水軍を持っていた光秀は瀬田橋の修復を待つより、船で小刻みに兵を安土へ送ってでも“信長の城”を押さえておくべきだった」
と書きました。
事実、光秀は水軍を持っていたからです。
(つづく)
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