足利義詮が京から撤退する少し前の観応三年(1352)閏二月一五日のことです。
新田義宗・義興の兄弟が新田の本拠である上野国で挙兵しました。
義宗は信濃に亡命していた宗良親王(後醍醐天皇の皇子)を奉じ、尊氏を追って鎌倉へ入りました。
父義貞が鎌倉幕府を倒した際の行軍路を踏襲し、ふたたび新田勢が鎌倉入りしたのです。
しかも、義貞が鎌倉に入るまで一四日を要したものの、義宗・義興兄弟はわずか三日でしてのけました。
閏二月一八日に鎌倉へ入った新田兄弟はすぐさま尊氏を追撃し、二〇日に人見原(府中市)・金井原(小金井市)で尊氏の軍勢と戦います。
義宗は鎌倉へ撤退しましたが、義興は尊氏をやぶり、いったん石浜(台東区)まで追い詰めて尊氏を自害寸前まで追いこみました。
しかし、二八日、笛吹峠(埼玉県嵐山町)などで巻き返した尊氏の軍勢に大敗してしまいます。
こうして新田兄弟は、一族の地盤の一つである越後などへ退いたのです。
この一連の合戦は、武蔵野合戦と総称されています。
(つづく)
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