義貞の「北陸王朝」が実現していたら、尊氏の「北朝」、後醍醐天皇の「南朝」とあわせ、中国史の三国志時代さながらに三国鼎立し、内乱の混乱はより大きくなっていたかもしれません。
しかし、建武四年(1337)三月、金ケ崎城が足利勢に落とされ、義貞の野望はあえなく瓦解します。
義貞は巻き返しのために北方へ進出しますが、翌建武五年閏七月、藤島城(福井市)の攻防戦で討ち死にします。
その義貞には三人の男子がいました。
嫡男(長男)義顕は金ケ崎城落城に殉じていますが、次男義興と三男義宗が歴史に名を残しました。
第三勢力を築こうとしたという父義貞に対し、二人の兄弟はあくまで、後醍醐天皇が吉野にたてた南朝の忠臣を貫きます。
(つづく)
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辻大悟のペンネームで歴史小説を書いております。
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