感染症と戦った医師「緒方洪庵」の謎②[適々斎塾] | 跡部蛮の「おもしろ歴史学」

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 洪庵は文化七年(1810)、足守(岡山市)藩士の三男に生まれ、一六歳で元服します。

 

 その後、大坂の蔵屋敷留守居役となった父と大坂に出て蘭学を学び、その後、江戸で別の蘭学者につきました。

 

 さらに長崎にも留学し、天保九年(1838)、二九歳で適塾を開きます。

 

 適塾は正式には適々斎塾といい、洪庵の号に因んでいます。

 

 適々とは「自分の心に適するところを適として楽しむ」という意味なのだそうです。

 

開塾と同時に妻八重を娶り、洪庵を慕う塾生たちが集まって、次第に塾が手狭になってきたため、天保一四年(1843)、いまの大阪大学適塾記念センター(大阪市中央区北浜)にあった町屋を買い、移ってきました。

 

ちなみに、同地では当時の建物がいまなお残り、史跡と重要文化財に指定されています。

 

 洪庵がまず医師として取り組んだのが天然痘でした。

 

洪庵自身、八歳の時に天然痘にかかったことも影響しているのでしょう。

 

(つづく)

 

 

【著者新刊情報】『江戸東京透視図絵』(五月書房新社。1900円+税)

編集者「町歩きの本をつくりましょう。町を歩きながら、歴史上の事件を“透かし見る”という企画です」

筆者「透かし見る?」

編集者「そうです。昔そこであった事件や出来事のワンシーンをイラストレーターの先生に描いてもらい、現実の写真と重ね合わせるんです。つまり、町の至る所に昔を透かし見るカーテンのようなものがあると考えてください」

筆者「それってつまり、“時をかけるカーテン”ですね。そのカーテンがタイムマシンの役割を果たしてくれるんですね!」

編集者「まあ、そんなところでしょうか……」

筆者「やります、やります。ぜひ書かせてください!」

という話になって誕生したのが本書。新しいタイプの町歩き本です。

 

【著者新刊情報】『明智光秀は二人いた!』(双葉社、1000円+税)

明智光秀はその前半生が経歴不詳といってもいいくらいの武将です。俗説で彩られた光秀の前半生と史料的に裏付けできる光秀の後半生とでは大きな矛盾が生じてしまっています。そこでこんな仮説をたててみました。われわれは、誰もが知る光秀(仮に「光秀B」とします)の前半生をまったく別の人物(仮に「光秀A」とします)の前半生と取り違えてしまったのではなかろうかと。この仮説に基づき、可能な限り史料にあたって推論した過程と結論を提示したのが本書です。 したがいまして、同姓同名の光秀が二人いたというわけではありません。最近では斎藤道三について「父と子の二代にわたる事績が子一人だけの事績として誤って後世に伝わった」という説が主流になっています。そう、斎藤道三も「二人いた!」ということになるのです。

【著者新刊情報】『超真説 世界史から解読する日本史の謎』(ビジネス社、1600円+税)

 日本史が世界史の一部であることはいうまでもありません。そこで大真面目に「世界史から日本史を読み解いてみよう」と考えました。その結果を最新刊に凝縮させました。 弥生・古墳時代から現在に至るまで、日本は東アジアはもとより、ヨーロッパやイスラム諸国からも影響を受けながら発展してきています。弥生時代の「倭国大乱」から明治新政府による「日韓併合」まで、日本史を国際関係や世界史の流れから読み解きました。

 

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