感染症と戦った医師「緒方洪庵」の謎①[江戸を襲ったコロリ] | 跡部蛮の「おもしろ歴史学」

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歴史ファンの皆さんとともに歴史ミステリーにチャレンジし、その謎を解き明かすページです(無断転載禁止)

  ようやく日常がもどってきた感がありますが、令和のニッポンは新型コロナウイルスの脅威に晒されました。

 

 その令和二年(2010)からさかのぼること一六〇余年前の安政五年(1858)、幕末の日本でコレラが猛威を振るいました。

 

 当時の人々は「コロリと死んでしまうから」と、コレラを「コロリ」と呼んで恐れ、江戸だけで三万人が亡くなったのです。

 

その幕末にコレラや天然痘の感染症と戦った医師がいました。

 

緒方洪庵です。

 

医師で蘭学者。大坂で適塾を開き、福沢諭吉や橋本左内、大村益次郎ら幕末・明治に多方面で活躍した人材を育てた教育者でもあります。

 

その適塾は大阪大学医学部のルーツとなり、洪庵が晩年に頭取を務めた江戸の西洋医学研究所はやがて東京大学医学部へと発展します。

 

したがって洪庵は「日本近代医学の祖」とも呼ばれます。

 

しかし、半生を感染症との戦いに費やした男の死因が謎。いったい死因は何だったのでしょうか。

 

一方、生涯、「高ぶらず、へりくだった人」と曾孫の医学者・緒方富雄氏が『緒方洪庵伝』に書いた通りの穏やかな人物だったようですが、その洪庵が激した瞬間がありました。

 

では洪庵の生涯を追ってみましょう。

 

(つづく)

 

 

【著者新刊情報】『江戸東京透視図絵』(五月書房新社。1900円+税)

編集者「町歩きの本をつくりましょう。町を歩きながら、歴史上の事件を“透かし見る”という企画です」

筆者「透かし見る?」

編集者「そうです。昔そこであった事件や出来事のワンシーンをイラストレーターの先生に描いてもらい、現実の写真と重ね合わせるんです。つまり、町の至る所に昔を透かし見るカーテンのようなものがあると考えてください」

筆者「それってつまり、“時をかけるカーテン”ですね。そのカーテンがタイムマシンの役割を果たしてくれるんですね!」

編集者「まあ、そんなところでしょうか……」

筆者「やります、やります。ぜひ書かせてください!」

という話になって誕生したのが本書。新しいタイプの町歩き本です。

 

【著者新刊情報】『明智光秀は二人いた!』(双葉社、1000円+税)

明智光秀はその前半生が経歴不詳といってもいいくらいの武将です。俗説で彩られた光秀の前半生と史料的に裏付けできる光秀の後半生とでは大きな矛盾が生じてしまっています。そこでこんな仮説をたててみました。われわれは、誰もが知る光秀(仮に「光秀B」とします)の前半生をまったく別の人物(仮に「光秀A」とします)の前半生と取り違えてしまったのではなかろうかと。この仮説に基づき、可能な限り史料にあたって推論した過程と結論を提示したのが本書です。 したがいまして、同姓同名の光秀が二人いたというわけではありません。最近では斎藤道三について「父と子の二代にわたる事績が子一人だけの事績として誤って後世に伝わった」という説が主流になっています。そう、斎藤道三も「二人いた!」ということになるのです。

【著者新刊情報】『超真説 世界史から解読する日本史の謎』(ビジネス社、1600円+税)

 日本史が世界史の一部であることはいうまでもありません。そこで大真面目に「世界史から日本史を読み解いてみよう」と考えました。その結果を最新刊に凝縮させました。 弥生・古墳時代から現在に至るまで、日本は東アジアはもとより、ヨーロッパやイスラム諸国からも影響を受けながら発展してきています。弥生時代の「倭国大乱」から明治新政府による「日韓併合」まで、日本史を国際関係や世界史の流れから読み解きました。

 

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