諸藩とその支配層(大名や門閥家老ら)が戊辰戦争を経て、その権威を失墜させていたからこそ、新政府が廃藩置県の前段階として明治二年(1869)に行った版籍奉還の際にもたいした混乱は起きませんでした。
版籍奉還というのは、諸大名から天皇へ領地(版図)と領民(戸籍)を返還させることをいいます。
のちに藩閥政治と批判される薩長土肥の四藩が範を示して新政府に願い出ますと、諸藩もこれに従いました。
藩政のトップである知藩事にはそのまま藩主が任じられましたが、彼らの地位は世襲されず、天皇からみたら、陪臣にあたる旧藩士も知藩事と等しく「臣民」となります。
封建的な主従関係が否定されたのです。
したがって新政府は諸侯の不満をおさえるため、戊辰戦争の論功行賞ともいえる賞典禄を与えることにしました。
ただし、諸侯は賞典禄という飴に釣られ、版籍奉還の上表をおこなったわけではありません。
それには明確な理由がありました。
(つづく)