明治維新最大の謎「廃藩置県」の真相②[藩主弟への糾弾] | 跡部蛮の「おもしろ歴史学」

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幕末維新最大のミステリーともいえる廃藩置県について、薩摩藩と西郷隆盛を主人公に謎解いてみましょう。

 

まず、幕末の争乱の主役は中・下級の藩士たち。

 

戦国時代のように殿様が自ら兵を率い、その才覚で大名の地位を勝ち取ったわけではなかったことが最大の原因でしょう。

 

たとえば、西郷隆盛の母方の従妹にあたる川村純義(すみよし)という薩摩藩士は、戊辰戦争の会津攻めで軍功を立て、新政府軍が戊辰戦争に勝利して彼らが鹿児島に凱旋すると、必然的にその発言力は増しました。

 

そして川村らは藩の上層部、とりわけ「門閥」といわれる層を排斥しようとしたのです。

 

川村は藩主島津忠義の御前で、堂々と藩主弟の島津久治を詰問したのです。

 

つまり、桜田門外の変で幕府の権威が失墜し、幕府が真綿で首を絞められるようにして滅んでいったように、諸藩とその支配層(大名や門閥家老ら)も戊辰戦争を経て、その権威を失墜させていたのです。

 

(つづく)

 

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