慶長一二年(1607)、呂祐吉を正使とする朝鮮の使節が来日し、五月に江戸幕府二代将軍徳川秀忠が江戸城で使節と会見しました。
以降、朝鮮通信使が往来することになりますが、ここでも問題のすりかえがおこなわれました。
当時は外交上、敗戦国から先に国書を送る慣例になっていました。
朝鮮は通信使派遣の条件として日本側から先に国書を送ることを求め、あわせて、朝鮮被虜人(日本軍に連行された朝鮮人捕虜)の返還を求めていたのです。
問題は前者でした。
そこで義智は日本の国書を偽造して朝鮮へ送ったのです。
したがって、日本にやって来た朝鮮の使節は正式にいうと、「回答兼刷還使」。
日本が出した国書に回答することと被虜人の送還(刷還)を目的にしているためです。
朝鮮が日本に示した返書の原本には当然、「奉復(返信)」という文言が入っていました。
しかし、それだと、先に日本が国書を送ったことになり、偽造国書の件がバレてしまいます。
そこで「奉書(往信)」という文書に改ざんしたのです。どこかで朝鮮の国書を手に入れ、書き換えたのでしょう。
そう、公文書の改ざんです。偽造国書の一件をごまかすためにさらに嘘の上塗りをしたことになります。
以上、義智がやったことをどう評価するかは読者の判断に委ねますが、彼がそこまでしなかったら、日朝両国の関係修復が進まなかったのは事実です。
大義のない改ざんとはレベルがちがいます。
もちろん、義智が悪人でないのもまた、事実です。
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