天才絵師「葛飾北斎」の謎(最終回)[謎の風景画] | 跡部蛮の「おもしろ歴史学」

跡部蛮の「おもしろ歴史学」

歴史ファンの皆さんとともに歴史ミステリーにチャレンジし、その謎を解き明かすページです(無断転載禁止)

 シーボルトが江戸入りの際に北斎と会っているのは事実です。

 

 しかし、シーボルトが来日して収集した書籍・地誌・版画などのコレクション目録に風俗画六点が含まれており、これまで、その作者が謎だったとされています。

 

 北斎の肉筆画だといわれる一方、当時、外国人から絵の依頼を受けられるのは、出島へ出入りする川原慶賀(前出)だけだという説もあって、定まらなかったのです。

 

 ところが、二〇一六年にシーボルトが持ち帰った絵画六点(オランダのライデン国立民族学博物館所蔵)が、北斎の肉筆画であると、同博物館の調査で明らかになったのです。

 

 六枚いずれも江戸の街並みを描いた風景画です。

 

 「日本橋」「両国橋」「品川」などを題材に川や人々や橋が描かれ、西洋流の画法で描かれています。

 

 新聞やテレビが報道されたので、その肉筆画の正確さに驚いた皆さんもおられるでしょう。

 

 落款はありません。したがって、これまで長らく作者不明とされてきました。

 

 しかし、同美術館の北斎を研究するチームがシーボルトの子孫に確認し、北斎の作品だと判明したのです。

 

 オランダでは、西洋人が描いたものと考えられていたといいます。

 

 江戸時代に、西洋人顔負けの西洋画を描いていた北斎はやはり、天才の一言に尽きるでしょう。