一般の画家の二倍の報酬を得ていた北斎が貧乏暮らしだった理由は、金銭に無頓着なところにあったようです。
北斎は、紙に包んだ絵の代金を確かめもせず、枕元に投げ出したまま放置し、米屋や薪屋が集金に来ると、包みのまま、「ほれ、持って行け」とばかりに投げ与えていたといいます。
金額が多いと集金取りは「しめしめ」とばかり懐に入れ、少ないと不足分を催促していたとか。
また、北斎は布団をかぶってひたすら絵を描き続け、食べ物を包んだ竹の皮は出しっぱなし。
家の中には蜘蛛の巣が張り、食べ物も隣の酒屋から持って来させていたというのです。
つまり、金銭どころか、絵を描くことを除くと、すべてのことに無頓着。
要するに、究極の無精者なのです。
北斎は、出戻り娘のお栄(画号は葛飾応為)と同居していましたが、そのお栄もまた、「塵埃(じんあい)の中に座して画き居たり」(北斎伝)という状況です。
したがって、掃除などもってのほか。
家が汚くなったら引っ越す暮らしぶりでした。
と同時に、北斎は、相手が将軍であっても動じない図太さをもちあわせていました。北斎が将軍徳川家斉に浅草伝法院へ招かれたときのことです……。
(つづく)
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