殉教者と下剋上大名―二つの顔を持つ戦国武将の謎③[高山父子殺害計画] | 跡部蛮の「おもしろ歴史学」

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右近は十二歳で洗礼を受けますが、父飛騨守に従って受洗したにすぎず、どのくらいキリスト教の教義を理解していたかは疑問です。


そんな高山父子に、やがて大きな歴史の波が押し寄せてきます。


織田信長が上洛を遂げ、いったんは三好一族を畿内から駆逐するのです。


そのあと信長は、摂津の支配を池田城主の池田勝正や高槻城主の和田(これ)(まさ)らに委ね、右近の父飛騨守はもともと所領が摂津国にあったため、惟政の支配を受けることになりました。


しかし、元亀元年(1571)、荒木村重らが主君の勝正を追放して、にわかに三好方へつき、織田方の和田勢らと白井(しらい)河原(かわら)(茨木市)で激戦となりました。


この合戦で惟政は討ち死にしてしまいます。


そこで惟政の子(これ)(なが)が新たな高槻城主となりますが、どうも惟長は暗愚な主君だったようです。


補佐役の叔父を殺し、重臣の高山父子をも、評定(ひょうじょう)(会議)の場に誘い出して殺害しようと図ったのです。


(つづく)




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