右近は十二歳で洗礼を受けますが、父飛騨守に従って受洗したにすぎず、どのくらいキリスト教の教義を理解していたかは疑問です。
そんな高山父子に、やがて大きな歴史の波が押し寄せてきます。
織田信長が上洛を遂げ、いったんは三好一族を畿内から駆逐するのです。
そのあと信長は、摂津の支配を池田城主の池田勝正や高槻城主の和田惟政らに委ね、右近の父飛騨守はもともと所領が摂津国にあったため、惟政の支配を受けることになりました。
しかし、元亀元年(1571)、荒木村重らが主君の勝正を追放して、にわかに三好方へつき、織田方の和田勢らと白井河原(茨木市)で激戦となりました。
この合戦で惟政は討ち死にしてしまいます。
そこで惟政の子惟長が新たな高槻城主となりますが、どうも惟長は暗愚な主君だったようです。
補佐役の叔父を殺し、重臣の高山父子をも、評定(会議)の場に誘い出して殺害しようと図ったのです。
(つづく)
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