彼女は殺されたのか?――源家の生き残り「竹御所」の謎④[五代将軍候補懐妊] | 跡部蛮の「おもしろ歴史学」

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北条政子は、摂家将軍の正室(孫の竹御所)を通じて源家の血脈を保てると考えたのでしょう。


事実、源家の血筋を引く竹御所は幕府の御家人らの尊崇を集め、祖母の政子とはちがう意味で、その後継者となりました。


また、かなりの年齢差があったにもかかわらず、この夫婦関係は円満だったようです。


当然のことながら、竹御所は懐妊することになります。


彼女が正室になって三年ほどして、幕府内に竹御所懐妊の話が囁かれだします。


そして翌文暦(ぶんりゃく)元年(1234)三月、彼女の着帯(ちゃくたい)の儀がおこなわれました。


着帯の儀とは、妊娠五ヶ月目の(いぬ)の日に、腹帯を巻く習慣のこと。


生まれてくる子が男子なら、当然、五代将軍となります。


その子には源家の血が受け継がれるわけですから、将軍は源家の血脈を保つことになります。


これに御家人らは歓喜の声をあげます。


ところが、事態は意外な方向へ展開するのです。


その年の七月二十六日付『吾妻(あづま)(かがみ)』に、次のようなことが書かれています。


(つづく)




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