「軍師官兵衛」切腹の危機の謎④[指揮系統の乱れ] | 跡部蛮の「おもしろ歴史学」

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秀吉の朱印状のうち、掲載した一節は江戸時代に入り、黒田藩によって削除されています。



 ところが、『黒田御用記』という編纂史料に朱印状の全文が掲載され、削除した部分の内容が後世に伝わってしまいました。


黒田家にとっては、家祖の大スキャンダルであり、官兵衛にとっては、生涯二回目の絶体絶命のピンチです。


それではなぜ、官兵衛は軍監として朝鮮へ渡りながら、無断で帰国してしまったのでしょうか。


まず、削除された文面をみると、「重ねて御意得るべき由にて候」とあり、官兵衛はあらためて秀吉の「御意」を確認しようとして帰国した経緯がわかります。


官兵衛はどのような「御意」(秀吉の意向)を確認しようとしたのでしょうか。


素直に解釈すると、晋州城の攻略やその後の方針確認のためとなります。


しかし、官兵衛は秀吉の意向を踏まえて渡海したばかり。


そこで再確認が必要となると、石田三成らの現地の奉行衆と何やら意志の疎通がうまくいかなかった事態が想定できます。


当時、現場の指揮系統が乱れていたことに加えて、『黒田家譜』には、こんな話が掲載されています。


(つづく)


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