富士川の合戦と清盛の新戦術② | 跡部蛮の「おもしろ歴史学」

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富士川の沼島に群れる水鳥が何かに驚いて一斉に飛び立つと、その羽音を聞いた平氏の兵らは、源氏の急襲だと勘違いし、大慌てで退却――。


『平家物語』((かく)一本(いちぼん)=以下同)によりますと、その混乱ぶりは、


「弓取る者は矢を知らず、矢取る者は弓を知らず。人の馬にはわれ乗り、わが馬をば人に乗らる」


というほどでした。


しかも平氏の兵らが近くの宿々から呼んでいた遊女らは逃げ去る兵に踏みつけにされ、


(かしら)蹴割られ、腰踏み折られて、おめき叫ぶ者おほかりけり」(『同』)


という惨状を呈します。


そして物語では、源平合戦の初戦において、平氏がこうまで不様な敗走をさらけだした結果、平氏打倒の動きが一気に加速するという流れになります。


ただ、この合戦が、源平の政権交代の大きなターニングポイントになったのは事実上でしょう。


しかし、本当に平氏の兵は水鳥の羽音に驚いて退却したのでしょうか。


まずは、その真相に迫りたいと思います。


『平家物語』の描写から、合戦の経過を確認しておきますと、治承四年(1180)の八月、伊豆に配流されていた源頼朝が挙兵し、その年の十月、平氏は(これ)(もり)清盛の孫)を大将、忠度(清盛の末弟)を副将に東征軍を催します



 都を出るとき三万余騎だった軍勢は、行軍中に土地の武者を合流させ、七万余騎にふくらんだといいます。


一方、頼朝は駿河国の黄瀬川を越え、浮島ヶ原(富士川と黄瀬川の間の丘陵地帯)で勢揃いし、その数は平氏勢を上回る二十万騎と号します。


そして、源平両軍は富士川をはさんで対峙。


いよいよ明日、源平両軍が矢合わせすると定めた夜のことでした……。

(つづく)


※サブブログにて推理小説「ゴッドメモリ」(「江戸切絵図の記憶」を改題して加筆改稿)の連載をはじめました。ぜひご一読下さい(木曜日・土曜日アップ予定)。

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