富士川の合戦と清盛の新戦術① | 跡部蛮の「おもしろ歴史学」

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 NHK大河ドラマ『平清盛』の評判がよくありません。


 その理由は明らかですが、ここではその問題に敢えて触れません。


 むしろ逆に、『平清盛』によって新しい清盛像が描かれていると、前向きに評価したいと思います。


 その象徴が「平治の乱」における六条河原の合戦シーンではないでしょうか。


 平氏の軍勢は、再建なったばかりの大内裏の炎上を危惧し、うまく源氏勢を大内裏から引き離し、六条河原まで誘い出すことに成功します。


 問題はそのあとのシーン。


 うまく六条河原へ源氏勢を誘い出すことに成功した平氏の陣から、一斉に源氏の軍勢へ矢が降り注ぎます。


 ここで筆者は、長篠の合戦における信長の新戦術を思い起こしました。


 「鉄砲三千挺三段撃ち」は史実ではありませんが、信長が馬防柵を前に一〇〇〇挺程度の鉄砲をならべ、一斉射撃した新戦術です。


 清盛が実際に平治の乱でそのような戦術を用いたかどうかは定かではありませんが、清盛なら考えついたたかもしれないと思っています。


 清盛には革命児といわれる信長といくつか共通点があり(別稿参照)、十分に考えられるからです。


 平治の乱の勝利によって、平氏はやがて栄華を極めますが、その平氏の凋落を印象付ける歴史的事件となったのが富士川の合戦でした。


 少し前置きが長くなってしまいましたが、本稿では①富士川の合戦で清盛が画期的な新戦術を考えていたこと②平氏勢は本当に水鳥の羽音に驚いて逃げ帰ったのか――について、検証してみたいと思います。


まず、『平家物語』でこの合戦を振り返ってみようと思います。

(つづく)


七条大橋から六条河原方面を望む

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