観終えた、『このこ誰の子?』 | Joon's blog

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どんな傑作にも100点を、どんな駄作でも0点を与えないのが信念です

本当は中盤頃の感想もちびちび綴ろうと思ってたんだけど、怒涛のイッキ見で観終えてしまった『このこ誰の子?』。

 

…という事で、最後まで観終えました。

葵、そして宗次郎や拓也もさんざん悩み抜いた挙げ句の最終回。人々の悲しみや憎しみも和らぎ、ようやくハッピーエンドに向かい……と思いきや、最後の最後になってもなお情け容赦のない展開には軽く目眩がします。もうそろそろ不幸のどん底に足が付いてるんじゃない(笑)?

さらにラスト5分でのどんでん返し。

大映ドラマって、そこに行き着くまでが生き地獄であっても、ラストはハッピーエンドというイメージがありましたが(捉えようによっては『スタア誕生』も…)、本作のそれは実にビターだったのが意外でした。しかも文学的。

 

若めの人、もしくはネットにどっぷり浸かった人であれば、拓也の扱いについて不満に思うかもしれません。

血の迷いによって葵を不幸に突き落とした拓也、あんな大罪人を野放しにしておくなんてあり得ない!とキレている事でしょう。母である百合や聖子を襲った犯人が最後まで顔を見せる事もなかったし。

多額の賠償金を巻き上げるなり半殺しにするなり、拓也も含めた犯人たちへの断罪がない事にモヤッとする人もいるんじゃないかな? 

…けど、犯人にむごたらしい報いを与えたところで気が晴れる時間は所詮は一瞬、当人=被害者が自分に起きてしまった出来事を完全に消し去る事はできません。人間、本当に忘れたい事ってなかなか忘れられないじゃないですか。

”神はこの世に生まれた全ての生を嘉[ヨミ]し給うか…。この物語は、愛の神に心を委ね、生きる事への苛酷な挑戦を試みた一少女の愛のロマンである”

――最初に聞いた時はずいぶん大袈裟な事を言ってるなーと思いましたが、実はこのオープニングのナレーションこそが本作の内容を端的に表しているんですよね。

つまり、本作は自身に降りかかってしまった災いとどう向き合うかを描いた作品だと思うんですよ。“生きる事への過酷な挑戦”は伊達じゃねぇんだぜ。

 

愛する人がいながら、心にもない男の子供を宿してしまった葵。

おそらく本作の放送当時に比べれば、中絶のための現代の医療技術は遥かに進歩しているでしょうし、んなモン中絶すりゃいいだけなのに自分が死のうとするなんて、いかにも古臭いドラマだな~と思う人もいるんでしょうが……バカ野郎、どっちも命には変わりないんだし、命の価値に昭和も令和もねぇんだぜ!

自殺も中絶もできない葵は優しいばかりの弱い子に思えますが、17歳にして子供を産む事を決意するだけでも十分に強い子なのです。

総じて大映ドラマの主人公になる女子たちは、“強い”というより“逞しい”んだよね。

 

――という事で、久々に見応えのある連ドラを観た気分です。

ここで思う事があって……たとえば東映ヒーローやガンダムとかは放送ウン10周年として何かしらの企画が立ち上がるように、本作をフィーチャーした企画、やって欲しいなぁ。

“葵・宗次郎・拓也、40年ぶりの再会!”とか銘打って、本作を振り返るトークショーとか。

普段、俺ッチは歳を気にしてその手のイベントには参加しないんですが、仮にこれをやったとして、来場するのは初老のオジ&オバばかりだろうから、それに紛れ込めればなぁと(笑)。

…が、やったらやったで、みなさん思い出話ができるほど覚えてはいないんだろうなぁ…。