『グレンダイザーU』が始まりました。
…が、作品に関する感想はほぼありませんので、他の方々のブログ等を回った方がいいですよー。
さっそく1話を観ましたが、令和でのリメイクともなればあんなものでしょうね。何しろまだ1話だし、可もなく不可もなくというか。
ただ、真っ先に思ったのはデザインとしてのキャラクターで、ヒーローが若いどころか幼く見えてしまうのが受け入れにくくてね。少年ではなく青年ではダメなのかよと。
あんなモヤシっ子みたいな体格も頼りなさげだし、もう少し逞しさみたいなものを表せないかなぁ。
――それはさておき、グレンダイザーと来れば必ず名前が挙がるのは原作者の永井豪さん。
永井さんの作品を原作にした映像作品は星の数ほどありますが、それらの出来栄えに関しては玉石混交で、永井さん作品に限らず、もし”石”になってしまった際はスタッフがボロカスに言われるのは今や当たり前。
その多くは原作の表現や解釈を変更してしまった事に起因するらしいですが、今回の記事は原作改変について思う事を。
まず、俺ッチは原作改変に関しては肯定的なので、実写(映画)化決定の報を聞いた瞬間ヤフコメ(笑)とかに文句を書き込むのが習慣となっているような人は、この辺で読み終えた方がいいと思います。
どうして原作を改変した作品なんか許せるの?と訊かれれば、結果としてそっちの方が面白いからです。…いや、“面白いところもある”という言い方の方が相応しいかな? もちろん逆もあるけど。
むしろ、どうせ別媒体で一から作るのに、原作と全く同じにして何が面白いの?とすら感じるくらい。
ちょっと前、映像化において原作の改変とは、原作者の意思を大事にしていない証だとか何とかって話題が盛り上がりました。命を懸けて作品を守ったとか何とかっていうアレの件ね。
自分の作品に愛着を持つ作者は少なからずいると思いますが、映像化のオファーに対し、OKを出した時点で自分以外の人間の手が入る事を想像できないのは読みが浅いと感じます。
自分一人で作品をコントロールできる小説や漫画に対し、映画は膨大な数の人々が関わる分業ですから、作品を曲解している人の意思も少なからず紛れ込んでしまうのは仕方ないですしね。
それが嫌なら最初から安易にOKせず、目の前に積まれた大金も撥ね退けるべきなのです。
そこで永井豪さんの話になるんですが、永井さんは自分の作品が映像化される際は、原作は映画監督に嫁に出したと考えるようにしているようです。
さらに、今回の『グレンダイザーU』に関しても↑と同じように、好きなように作ってくれていいというスタンスだそうです。
この懐の深さ、さすがですよ。
長年に渡り身を置いているだけあって達観的というか、この手のエンタメ業を熟知しているというかね。
最低限の守るべき要望をいくつか出した後は専門家に任せて、原作者は客と一緒になって客観的に楽しむくらいでいいんじゃないかと思うんだよ。
原作が改変される事に嫌悪感を示す気持ちは分からなくもないけど、原作はたった一つである事は揺るがないんだから、所詮は二次創作とか余興と割り切れないものかね?と。
そっちの方が面白くてもつまんなくても、映像版ができたところで原作が消滅するわけでもないんだし。
まぁ、原作改変や実写化が悪だと声高に喚いてるのは、漫画&アニメバカが大半なんだろうと思ってますがね(笑)。今後も実写化の報せが聞こえる度に、いじましく例の件を持ち出すんだろうな、やれやれ。
つーか、“原作へのリスペクト”って具体的に何なのか教えておくれよ。