観た、『聖闘士星矢 最終聖戦の戦士たち』 | Joon's blog

Joon's blog

どんな傑作にも100点を、どんな駄作でも0点を与えないのが信念です

『聖闘士星矢 最終聖戦の戦士たち』を観ました。

 

聖域[サンクチュアリ]の宮殿を護る黄金聖闘士が次々に倒される。それは地獄より蘇った堕天使ルシファーと、それを取り巻く聖魔天使たちの仕業だった。

ルシファーの復活を知った沙織は、時を同じくして世界各地で頻発する天変地異がルシファーによるもの、しかも魔界に堕ちたエリス、アベル、ポセイドンらが力を貸していると知り愕然とする。

これを止めさせようとする沙織に対するルシファーの要求は沙織=アテナの命。ルシファーが待ち構える伏魔殿までの道のりを、アテナ自らが来た上で生贄になれというのだ。

要求に従い、伏魔殿に向かった沙織。そして、その後を追う星矢たちの行く手を阻もうと聖魔天使たちが立ち塞がり……というお話。

 

いよいよ4作目、回を重ねるごとにスケールアップをしてきた劇場版星矢ですが、ここに来て少々パワーダウンの兆候が見られます。尺も45分に戻っちゃったし。

それもこれも、荒木伸吾さん&姫野美智さんらによるキャラクターがアニメ版星矢の主たる魅力だと感じているんですが、このお二方は今作には参加していないんですよね。

作画レベルが低いという事はないんですが、画的には今一つ盛り上がれませんでした。

 

ただ、ストーリーに関してはこれまでの集大成に近い感じ。

ルシファーのバックにいるのがエリスやアベル、そしてポセイドンという錚々たる面子です。

…んっ、そこにポセイドン?

本作ではテレビ版の後期オープニングが使われているんですが、単に主題歌『聖闘士神話~ソルジャー・ドリーム』が使われているだけでなく、映像自体がテレビ版そのもの。つまり、ポセイドンや海闘士たちがフツーに映っているんです(この辺の使い回しもパワーダウンを感じさせる要因)。

「ポセイドン編、カンケーないやん…」と思いがちですが、実はポセイドン編の続編だったんだのかもしれません……?

 

ポセイドンと言えば、アニメ版は知りませんが、漫画版のポセイドンはアテナの壺に封印されただけで、正確には死んでいないんですよね。封印という形を取りながら、魂は魔界で一時的に待機しているって事なんでしょう。

ムリヤリそう思い込むとして、本作の敵であるルシファーの後ろ盾(?)としてポセイドンのみならず、エリスとアベルを登場させるのが熱いですね。

何しろ、この3人は全て神(の化身)ですからね、密かにスケールのデカい話なんですよ。

劇場版オリジナルキャラのエリスとアベル、つまり1作目と3作目のボスが再登場するのに、どうして2作目のボス=ドルバルは出ないの?と思いがちですが、ドルバルはあくまで代行者→教主であり、神=オーディーンそのものではないんですよね。

昭和アニメでやりそうなテキトーな真似をしなかったあたり、一貫性やこだわりを感じますね。

 

本作の目新しい点は、沙織が戦う点です。

“戦う”と言っても、聖闘士のように小宇宙を燃やして必殺技を放つような戦い方ではなく、いつものごとく受動的に敵に捕らわれず、自分の足で捕まりに行くというのが新鮮です。

もちろん聖衣も着ず、防御性なんか皆無な(笑)あの服で、血を流しながらも歩を進める姿は聖闘士たちとは違う、沙織なりの戦い方を表しているようです。

これまで自分のために犠牲を尽くしてくれた聖闘士たちに対する、ある意味の贖罪のようにも思えます

 

これは前作でもありましたが、現世に復活した神が、その野心のために天変地異を起こし、世界を災禍に見舞います。

我々が生きる現代においても、天変地異と呼んでも過言ではないような天災が起き、多くの命が奪われる事も少なくありません。

天災という自然現象は地球の怒りであり、神の裁きでもあると思うんです。

そんな天災に見舞われながらも、我々がこうやって生きていられるのはアテナが地上の平和を願い、世界のどこかで聖闘士が邪悪の神々と闘ってくれているおかげなのです……と、たまには虚実の境が付いていないような、痛い言葉を綴ってもいいだろう(笑)?

 

************************

************************

************************

*************************

 

って事で、これにて昭和の劇場版星矢は鑑賞完了。俺ッチはそこまで星矢ファンでもないけど、男子なら共感し得る熱さがありますよね。

あとは、↑の限定版にしか収録されていない『~天界編』が単品販売されるか否か……EASTERN STARさん、なにとぞお願いしますっ(もちろん強制字幕はイヤン)。