観てきた、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』 | Joon's blog

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どんな傑作にも100点を、どんな駄作でも0点を与えないのが信念です

『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』を観てきました。

 

第1作の公開が2007年、前作『~:Q』2012年ってんだから、足掛け14年でようやく完結とは、どんだけ待たせたんだよ。完結作を目の当たりにできず、志半ばに死んでいったオジサンも少なくなかっただろうに。

そんな年寄りと対極的に、小学生の男子が何人かで来場していたのを見掛けましたが、テレビ版を観ていた世代からすれば、まさかエヴァンゲリオンが2世代コンテンツになろうとは誰が思っただろう…。

 

で、ようやくの完結ですが、内容としては、これなら待たされても仕方ないだろうなと。何しろ、全ての情報量が濃密です。

(セリフを含んだ)1カットを読み取っているうちに次のカットに移行してしまい、先のカットの余韻を味わう暇も与えずに、容赦なく時間が過ぎて行く。「えっ、今の何?」と思わせる事が多々あるんですよね。

この積み重ねにより、本作に付いて行けない→理解できないと感じる人は、まずは過剰な情報量を瞬時に読み切れないからだと思いますが、それが普通の人の感覚だと信じたい…。

 

これは新劇場版シリーズを通しての伝統芸(?)になりますが、同じパターン(模様)を繰り返す、幾何模様が乱舞する映像が美しく、これも見どころの一つでしょう。どう言えばいいか分かんないけど、デジタルアート的な?

 

ああいう作風ですから、本作でももちろんネタバレという言葉が見え隠れします。

ネタバラしをしたりorされたりで、一喜一憂している人たちも少なくないんでしょう。

ここで、実際に観た立場として「どんなネタをバラしてやったのか?」「ネタバラしをされてガッカリした内容とは?」ってのが気になります。

バラす側としては、何を吹聴してバラした気になっているか、そのネタを知りたいんですよ。そのバラし方一つで、作品をどこまで理解しているかどうかが分かるので。

どうせネタバラしをするなら、最強の精神攻撃レベルのものを食らわしてやりたい気持ちはあっても、俺ッチがそれをしないのは、そこまで本作を理解できていないからです(笑)。○○が死んだor生きていたって程度の話を振りまいてハシャいでいるのは、かなり幼稚な観点でしか見れていない人だと思います。

反対に、バラされてガッカリした人は、観る前から内容の一部を知ってしまったのは気の毒ですが、おそらくそれは氷山の一角にすぎません。“これは知らないで良かった”と思う箇所は、他にもたっぷりありますから、安心してオッケー。

たかだかネットにある数文字に振り回されて、実際に1本の映画を体験するのを諦めるのは勿体ないと断言します。

 

余談ながら、ネタバラしをして喜んでいる連中は映画テロリストと考えます。観客の立場としてはノーモア映画泥棒以上の重罪です。

映画という楽しみを共有できない連中は、わざわざ映画館になんか行かずに、家でスマホでも眺めてろ。

 

これは割とどうでもいい事なんですが、邦画として、オープニングクレジットがあった点には感心しました。

若い人が舵を取るような近頃の邦画はこれが排されるようになってしまい、古くから映画を観てきている人は物足りなさを感じるそうです。

確かに、オープニングクレジットがあると、今から映画が始まるんだという高揚感が湧きますからね。

 

ところで、さすが人気作だけあって、公開開始からたった3日後にして劇場プログラム=一般的にパンフレットと呼ばれる副読本)売り切れていました。

俺ッチはマイルールとして、映画館で観た作品は必ずプログラムも買っています。さらに深く作品を知りたいだけでなく、鑑賞履歴の意味も含めてね。

動員数があんなですから、売り切れるのが早いのは仕方ないとは言え、これは俺ッチにとっては一大事なのです。

俺ッチが行った映画館では1人1点とルール化していたものの、何割かは映画も見ずに転売目的でプログラムを買って行った連中も多めに存在しているでしょう。メルカリとか壊滅してくれ、ホント(笑)。

本作のような人気作に関しては、例えばチケットの半券を提示したりして、作品を観た人にしかプログラムを販売しないというシステムを導入して欲しいと考えますが……どうでしょう?

 

なるべく内容には触れずに、雑感をダラダラ綴ってきましたが、最後に、これはネタバレと呼ぶほどのものでもないけど、たった一つだけ…。

お尻or股間、多いな…。