観た、『劇場版 はいからさんが通る』 | Joon's blog

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先日のテレビ放送で、ようやく後編まで観終えました、『劇場版 はいからさんが通る』。

 

せっかくの劇場版公開なのに、前評判があまり芳しくなかったのはキャラデザが、あまりにも原作=大和和紀さんの絵柄と似てねぇという意見でしたが、その通りですね。

まぁ原作の絵柄そのままにというのは無理、もしくはとてつもなく難しいのは分かるんですが、数十年ぶりのアニメ化であれば、もう少し原作に似せて欲しかったなぁ。

最近の原画描きさんは上手い人が多くなってきているから、元の絵に寄せるのは可能だと思うんです。

だから原作の絵柄に近付けるかどうかは、キャラクターデザイナーの一存で決まるんでしょうね。まぁ何人もの人間が描きやすいよう、能率的になるよう設計するんでしょうけど。

昭和にやってたテレビ版の方が、(作画レベルを含めた)アニメーション技術は遥かに劣ってはいたけど、原作の絵柄のニュアンスはあったと思います。

 

絵柄は仕方ないにして、ストーリーは原作のラストまでを描くという、アニメ版として初の試みという触れ込みも話題になりました。

わざわざ前後編に分け、トータルでは3時間以上の作品になりますが、その中で原作のエピソードをかいつまんでラストまで描いたんでしょうが、映画としてはイマイチです。

原作の膨大なエピソードを繋いだダイジェスト的な映像ばかりで、映画的な“間”があまり感じられないんですよ。

重要なイベントを立て続けに映像として見せるばかりで、場面転換が早すぎに感じます。

原作を知っている人は、あらすじを知っているから次にどうなるかが読めますが、知らない人であれば、話のスピーディーさに伴いキャラの感情の変化も急変する、つまり心情の変化が唐突に見えるんですよね。

こういう事例を見知りしてしまうと、現代における漫画作品のアニメ化とは、原作のセリフをそのままに、イベントを多くこなせば高評価を得られるものなんだろうなと感じました。

 

音響効果という言葉が正確なのか分かりませんが、例えば自分の家にしても、風呂場と自分の部屋で喋るのでは声=音の響き方が違うじゃないですか。

音に掛けるフィルターとでもいうのかな、これの種類が少ないのが気になりましたね。

映画館で見ていれば、なおさら強く感じたかも。

 

主役の紅緒と忍の声を当てるのは、早見沙織さんと宮野真守さん。

芝居の巧拙は全く分からない俺ッチなので、それに関してどうこう言う事はありませんが、とりあえず断言できるのは、「またか」。

近年のテレビアニメをランダムに10作挙げてみて下さい。そこに、この二人の名前がある作品が何作あるでしょう?

しょっちゅう同じ人をキャスティングするアニメ業界にも呆れますが、アニメファンとしても声優ファンとしても、そんな安っぽく、粗製乱造気味に手広く役を演じる事って嬉しいんでしょうか? 飽きないんでしょうか? 洋画の吹き替えマニアにも同じ事を言えますが。

あ、キャストと言えば、よこざわけい子さんと森功至さんのキャスティングには粋な配慮を感じました。